三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹叡(そうえい) 字:元仲(204~239)その3

さて、今回は魏の曹叡が下した詔勅の続きについて見ていくとしよう。前回から、どのような詔勅を下しているのか。興味は尽きないのう。

 

さて、前回まで曹叡が下した詔勅は既に結構なボリュームであったが、今回はその続きじゃな

どうも、張郃だ。ほぼ毎年のように布告を出しているからな。生真面目なお方だ。 

前回最後は少し皇族を優遇するようなものでしたよね。今回もそう言う話は出てくるんでしょうか。

そうじゃな、決して魏が皇族を冷遇していた訳でもないことは何となくわかると思うんじゃが、本来なら文帝の時代にやっておくべきことであったようにも思うのう。

人物紹介 

232年の詔勅

魏志『明帝紀』によると232年2月、詔勅を下して言ったんじゃ。

「古代の帝王が諸王に領地を与えて治めさせたのは、王室を守り助けるためであった。『詩経』にも『徳に懐み(なごみ)維れ寧んぜよ(やすんぜよ)。宗子(一族の子弟)は維れ城なり。』と言うではないか。

秦・漢は周の封建制度を継承したが、藩国は強すぎたり弱すぎたりして、どちらも中正を失っていた。

大いなる魏が建国されると、諸王は藩国を開いたが、みな時宜に応じて処置され、まだ定まった制度は存在しておらず、永く後代の規範となるものではなかった。よって改めて諸侯・王に領地を与え、全て一郡を以て領国とさせる。」

元々曹丕殿の時代、藩国は確か県の大きさに留まっていた。良く魏は皇族に力を与えなかった、と言われる所以がこれだ。これに対し曹叡殿は郡国にまで広げて皇族に力を持たせようとした。

これは、パワーバランスを皇族寄りに少し戻そうとしていた、と言うことですよね。でもそうなると・・・。

どうした、何か気になることがあるのか?

あ、いえいえ、それでは続きを見ていくとしましょう。(・・・まさかね)。

234年・236年の詔勅

続いて234年2月の詔勅を見ていくとしよう。

「鞭打ちが官吏に対する刑としてあるのは(職務の)怠慢を糺す(ただす)ためである。しかるに最近無実の罪でありながら、(鞭打ちのため)死に至るものが多数ある。よって、鞭打ち杖打ちの制度を削減し、それを政令に記すように。」

皇と呼び、亡母を后とするようなことがあったならば、たとえ補佐の大臣であったとしても、誅殺して決して許してはならぬ。

よってこの詔勅金策(黄金製の札)に書き記し、祖先の霊廟におさめ、法典に書きとどめておく。」

さらに、236年6月の詔勅にも注目だな。

「昔、有虞氏(舜)の時代には刑罰を示す衣服を着せるだけで人民は罪を犯さず、周の時代では刑罰は設けられていたが、用いられることはなかった

朕は多くの王者たちの跡を継ぎ、過去の時代の風俗を追思するに、どうしてこんなにはるかな隔たりがあるのであろうか。

今、法令はますます明らかであるのに、犯罪者はいよいよ多く、刑罰はますます多くなっているのに、悪を止めることができない。

以前死刑の条項について検討し、多くの物を削除したのは、人民の命を救わんとしたがためであって、これこそ朕の真心である。

にもかかわらず、郡国で獄死する者の数は、一年間でなお数百人を超えているのは、いったい朕の教導が行き届かず、人民に犯罪を軽視させているためか、それとも過酷な法が依然として存在し、それが陥穽になっているためであろうか。

担当官吏は裁判について論議し、死刑を緩和して、つとめて寛大簡略な処置に従うように。また、恩情を乞う者や、あるいはまだ弁明の言葉を言い出さないでいる者を裁いて処罰。断罪することは、道理を極め情を尽くす手段ではない。

よって裁判・刑罰を司る廷尉および天下の獄官に命ずる。死罪を犯す者があれば、十分吟味してから判決を下せ。謀反を図った者と手を下して人を殺した者以外は速やかにその両親に連絡して処置させよ。

また恩情を乞う者があれば、判決の上奏を情状の文書と共に差し出せ。朕はその者を保全する道を考えようと思う。よって天下にこれを布告し、朕の意図を明らかにするように。」

めっちゃ人民のことを考えていません?曹叡って宮殿とかの造営で民を徴発して、凄い苦しめた、みたいなこと書かれていますけど、何かギャップを感じますね。

そうじゃな。宮殿の造営を、例えば現代で言う公共事業のようなもの、と考えてみるとどうじゃ?

ばらまきとか言われるが、建物を建てたり、道を造ったり、と言うのは当然金を底に落とすことになる。それまで北伐で軍を動かしていたのが、諸葛亮の死によって一旦休止となった、と考えると金の落としどころが変わってくるのは自然と言えよう。

確かに日本の地方公共団体もそうやって民間にお金を落としていると言う側面はありますね。

まあ、曹叡のやったこと全てを肯定するわけではないんじゃが、皇族優遇政策、そして民間へ金を落とすことなど、これはちょっといろいろ考察の余地があると思うんじゃ。とは言え、きりが良いので今日はここまでじゃな。それとちょっと早めのGWと言うことで来週末まではまたお休みさせてもらうことになりそうじゃ。スマンのう。 

ふむ、しばらくは休みということだな。俺も少しゆっくりさせてもらおう。 

張郃さん、お疲れさまでした。見に来られている皆さん、次もまたよろしくお願いいたしますね。

 

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