さて、今回は馬超の紹介5回目じゃな。散々暴れまわった馬超じゃが、彼自身はいったいどんな心情であったか、その辺りを分かる範囲で追いかけてみようかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は馬超の紹介5回目じゃな。気が付けばそんなに回数を重ねておったかのう?
演義と正史ではだいぶ違うと言うことで、かなり詳細に語っていますからねえ。
良きにつけ悪しきにつけ、後漢から三国時代を代表する武将の一人だからな。
うむ、それでは今度は馬超の内面に踏み込んで見ていくとしようかのう。
人物紹介
馬超の嘆き
その昔、馬超がまだ反旗を翻さなかった頃、妾の弟の董种は三輔に留まっていた。馬超が敗北するに及んで、董种は一足先に漢中に入った。正月元旦、董种が年賀に行くと、馬超は胸を叩き血を吐いて、
「一門残らず、一日にして命を落としてしまったのに、今、二人で祝うことができようか。」と述べた。
~中略~
また張魯の将軍楊白らが、彼の能力を恐れて殺害しようとしたので、馬超は氐族の居住地に逃げ込み、転じて蜀へと奔った(『馬超伝』)
馬超自身にも非があるとは言え、彼自身は一族の滅亡を悲しみ嘆いている。一つ歯車が狂ったことで、後戻りのできないところまで行ってしまったのだな。
それと妻子を捨てて張魯から劉備の方へ行ったのかと思ったのですが、実際は身の危険を感じていたから、やむなくと言う感じだったのですね。
そうだな、何もなければ彼は張魯のところに残っていたかもしれない。そうなると漢中攻略は難儀なことになっていたかもしれないな。
彭羕の反逆
彭羕は自ら優遇されていることを鼻にかける様子がだんだん酷くなった。諸葛亮は表向きは彭羕をもてなしていたものの、内心では快く思わず、しばしば先主に内密で言上し、彭羕は遠大な野心を持っている故、おとなしく仕えさせておくのは難しいでしょうと述べた。
先主は諸葛亮を敬愛して信頼していた上に、彭羕の行状を観察した結果、次第に疎んずるようになり、彭羕を江陽太守に左遷した。
彭羕は遠方へ転出されると聞き、内心面白くなく、馬超のところへ会いに行った。馬超が彭羕に質問して、
「君は才能抜群である故、主君も極めて重用なさっておられる。孔明や孝直と足並みをそろえて活躍するのが当然だと思っていたのだが、外に出されて小郡の太守にされたのでは、本来の希望に外れることにならないかね。」
と言う彭羕は「あの老革めはぼけて訳が分からず、お話にならん。」と答えた。
更に馬超に向かって「君が外側を受け持ち、私が内側を受け持ったならば、天下は簡単に思い通りになるのだが、」と言った。
馬超は流浪の末国家に帰順した者であり、いつも自分の身について危惧の念を抱いていたから、彭羕の言葉を聞くと大いに驚き、黙りこくったまま答えず、彭羕が帰ると、詳しく彭羕の言葉を上奏した。(『彭羕伝』)
彭羕自身は言ってはいけないことを、と言う感じですが、馬超も随分慎重になっていますね。
さすがに色々なことを経験したであろうからな。この辺り、己の分をわきまえた馬超とわきまえずに滅んだ呂布との差、になるのかもしれんな、どちらも優秀な武将だが。
そうじゃな、因果と安易に言えることでないのは重々承知じゃが、蜀に流れ己の身を律したことで、若くして亡くなったとは言え、馬超は生を全うできたのではないか、そんな気はするのう。
と言ったとこで馬超の紹介終わりじゃな。案外暴虐で、ジェットコースターのような人生であったが、ワシにとって彼もまた魅力的な人物であったことに間違いないんじゃよ。
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