さて、今回は馬承の紹介じゃな。彼もまた馬超の息子の一人なんじゃが、彼の場合は蜀において生を受けていたようで、兄の馬秋とはまた違った運命をたどれたようじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は馬承の紹介じゃな。彼もまた馬超の息子の一人なんじゃよ。
残念ながら、彼の名前も聞いた記憶がちょっとないですね。演義には出ていなかったと思います。
もしかすると馬超が亡くなる時に名前だけ出ているかもしれんがな、まあ史書における出番もその程度だ。
そうじゃな、それでは馬承について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
さて、馬承についても「馬超伝」のところに記述が見えるぐらいじゃな。
これだけですか、と言うことは馬承が馬超の後継者となったのですか。
いや、それが少し事情が違うようだな。馬超の最後の上疏が残っているのでそれを見てみよう。
(馬超は)死に臨んで上疏し、
「私の一門、二百人あまりは曹孟徳によって誅殺されほとんど絶滅いたしましたが、ただ従弟の馬岱だけが残っていおります。衰えた家の祭祀を継ぐべき男として、そのことをくれぐれも陛下にお託ししたいと存じます。後は言い残すこともございません。」
と述べた。(『馬超伝』)
200人ってすごいですね、それだけの人達が馬騰と共に鄴に移り住んでいた、と言うことですか。
親族が数十家移住した、と考えるとそれぐらいにはなるな。馬超も父殺しの汚名を背負うことになるし、業の深い話だ。
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簡単解説
馬承も他の作品には出てこれないのですね。
蜀の武将は極力出てくる演義だが、この辺りは関羽や張飛との差になる、と言うことかな。所詮は外様であるし、まだ220年代は幼少であった可能性も高いしな。
馬岱がおった、と言うことも大きいじゃろうな。馬超亡き後の代わりを十分務めてくれた訳じゃから、馬承の出番は必要なかった、と言うことじゃろうな。さて、それでは馬承について終わるとしようかのう。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。