さて、今回は馬鉄の紹介じゃな馬超、馬休の弟じゃな。彼も馬騰や馬休と共に入朝したんじゃな。まあ、結果は言わずもがな、じゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は馬鉄の紹介じゃな。彼も兄の馬休同様、記録は少ないが知名度はある方じゃな。
彼も演義で出ているから、知っていますね。
それだけ演義の影響力は大きかったと言うことだな。
うむ、それではさっそく馬休について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
馬鉄は馬休と同様に、記録は少ないようじゃな。
建安十三年(208年)衛尉として召し出された。馬騰は自らの老いをかえりみ、結局入朝して警護の役に就いた。
~中略~
馬騰が入朝したので詔勅によって(馬超を)偏将軍に任じ、馬騰の軍営を統率させた。また、馬超の弟の馬休を奉射都尉に、馬休の弟の馬鉄を騎都尉に任命し、その一族郎党を引き連れて皆鄴に移住させた。(『馬超伝』)
(馬超の反乱後)、馬騰は彼の罪に連座し、三族皆殺しにあった。(『董卓伝』)
それにしても演義と正史では本当に状況があべこべですね。
演義では曹操のだまし討ちによって、馬騰達は殺害されているからな。順序がまるで逆で、だからこそ演義の馬超は悲劇の主人公としての立場を確立できたのだ。
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簡単解説
さすがに偶然だと思いますが、馬休と馬鉄の比較が師匠と天舞三国志はよく似ていますね。
軍事(武勇)と統率がどちらも馬鉄の方が高い当たりが良く似ているな。これは参考にしているのかな?
いやあ、これは完全にたまたまじゃな。政治とかは別に馬鉄の方が高い訳でもないしのう。さて、短いがこれで馬鉄の紹介は終了じゃ。
それと同時に華北の群雄の後継者たちの紹介が終わったので、各勢力後継者のまとめ、曹操陣営からはやっていないと思うから、曹一族を代表する武将の紹介と行こうかのう。優秀な武将が多いからちょっと楽しみじゃな。
よし、今日のところは終わりだな、それではまたな。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。