さて、今回紹介する人物は孫拠じゃな。彼は孫綝の弟の一人であり、恐らくは孫恩の弟、孫闓や孫幹の兄に当たる人物じゃな。258年没と言うことで、彼も孫綝に従って一時的に権力を握り、彼と共に死を迎えた、と言うことじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫拠の紹介じゃな。彼は孫綝・孫恩の弟で、孫闓・孫幹の兄に当たる人物じゃよ。
なるほど、悪名高き孫綝の弟ですか。彼の記録はどの程度なのでしょう?
ざっと見た感じ、それほどの記録は残っていないようだな。
孫綝の弟としては孫恩が一番記録が残っており、残り3人は横一線、孫闓が最後逃げ伸びようとした記述が目立つぐらいじゃのう。大体評価も似たようなものと思ってくれると良いぞい。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
孫拠は孫綝のところを中心に書かれているようじゃな。
孫綝は、孫亮が自ら政治を執るようになって以来、しばしば自分に対して、問責が加えられてきたことから、酷く不安に感じて、建業に帰還しても、病気を理由に参内しなかった。
彼は朱雀橋の南に私宅を作り、弟の威遠将軍の孫拠に蒼龍門内にあって宿営に当たらせた。
~中略~
(孫休が即位した後)孫拠は右将軍となって、(孫恩と)共に県侯に封ぜられた。(『孫綝伝』)
4人の兄弟を見比べると、孫恩の次席として軍事面を期待されていた、と言う感じでしょうか。
実績がほとんどないが、記述から見るとそんな感じだな。孫闓が最後粘った分、軍事だけは上をいかれている、と言った感じか。
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簡単解説
実際の能力がどうであったかはともかく、孫綝の弟であったのは不幸だったのでしょうか。
どうだろうな、最後処刑される時は一瞬であったろうし、それまでは栄華を誇っていた訳だからな。
終わり良ければ総て良し、と言う言葉もありますし、終わりが良くないのは何とも言えんところですがのう。
さて、そんなところで今回の孫拠の紹介は終わりじゃな。
よし、それでは自分も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。