三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

伍瓊(ごけい) 字:徳瑜(?~?)

さて、今回紹介する人物は伍瓊じゃな。彼は袁紹と奔走の友(心を許しあい、危難にかけつける仲間)として出てくるんじゃ・・・が、この伍瓊と言う人物、大きな(そこまででもない?)謎を抱えているんじゃよ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回紹介するのは伍瓊じゃな。上でも書いているが、彼には大きな謎があるが、弟子よ、さすがに・・・。

うーん・・・何かあったようにも思うのですが、ちょっと思い出せないですね。

ムリもない、この話はもう4年近い前のことになるからな。弟子よ、伍孚と言う人物は覚えていないかな・・・。 

確か以前紹介された人物・・・あっ、分かりました。なるほど・・・この方は覚えていますよ。あの董卓暗殺事件で印象に残った人物でしたから。

思い出したか、今回紹介する伍瓊と上の伍孚は同一人物の疑いがあるんじゃな。この辺りを見ていこうと思うんじゃよ。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 伍瓊(20歳)  35 25 75 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 伍瓊(45歳)  62 51 106 90

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・政治

伍瓊については各所に分散しているので、記録をまとめるとしよう。

伍瓊は字を徳瑜と言い、汝南郡の人である。(『董卓伝』裴注『英雄記』)

董卓尚書の周毖や城門校尉の伍瓊らを信任し、彼らが推挙した韓馥、劉岱、孔伷、張咨、張邈等を採用して、州や郡を治めさせた。(『董卓伝』)

袁紹伝』には袁紹董卓と考えを異とし、洛陽から逃亡して冀州に逃げた時、周毖や伍瓊らは董卓に信頼されていたが、内密で袁紹に味方していた、と言う記述があるんじゃ。

そこで袁紹のために伍瓊等は董卓に以下のように進言した。

「今、逃亡した袁紹を賞金付きで厳しく追及したなら、勢い必ず変事を起こすでしょう。袁氏は四代に渡って恩徳を施し、その食客やもと配下にあった官吏が天下にあまねく存在しております。

もし豪傑を糾合し、軍勢を集め、英雄がそれを機会に立ち上がったならば、山東(東中国)は公の手の届かないものとなるでしょう。

彼を許し、一郡の太守に任ぜられるがよろしい。さすれば袁紹は罪を免れたことを喜び、必ずや心配はないでしょう。」

董卓はこれをもっともだと考え、袁紹勃海の太守に任じた。(『袁紹伝』)

ところが韓馥らは着任すると皆董卓討伐軍を立ち上げ、董卓は伍瓊等が内通して自分を売ったと思い込み、彼らをことごとく惨殺してしまった。(『董卓伝』)

伍瓊は袁紹と奔走の友となり、彼の命を助けるべく董卓に彼らを用いるように進言を行っているが、結局彼らが反乱したことで、命を失ったこととなる。

ちょっとかわいそうな話ですね。まさかこんな事態になるとは思わなかったのでしょうか。

そこで言うと。実は伍瓊に関しては少し異説も見られる、そちらの内容を見てみるとしようか。

知謀

荀攸は侍中の种輯、越騎校尉の伍瓊等と謀議をこらし、董卓を暗殺しようと画策する。

しかし計画実行の直前になって事が露見し、荀攸等は逮捕・投獄された。(『荀攸伝』)

こちらではより積極的に董卓を裏切ろうとしているな。

こうなると董卓に先手を打ってやられたような印象になってきますね。

伍瓊の知謀が高めなのは、董卓暗殺の謀議に加担していたためであろうな。さて、伍瓊と伍孚については『Copilot』に聞く前に、こちらで情報を整理しておこうか。

共通点

①出身地がどちらも汝南郡の出身

どちらも姓が伍、字が徳瑜

③官位が伍孚は越騎校尉、伍瓊は城門校尉(『荀攸伝』では越騎馬校尉)とほぼ同じ

相違点

荀攸と共謀の話が伍孚の方にはない

②死に至る経緯、時期が違う、伍瓊は洛陽時代で伍孚は長安遷都後

③伍瓊はインテリ寄りの印象があるが、伍孚は武闘派のイメージ

『Copilot』の情報

今回の質問じゃが、今回はこれで決まりじゃろ「伍瓊と伍孚は別人?」じゃな。

『Copilot』の回答

結論だけ先に言うと、史料上は「同一人物説」と「別人説」が併存していますが、現在の主流的理解は “別人とみなす方が妥当” とされています。ただし完全に断定はできません。


🧭 結論の整理

✔ 別人とみなす理由(有力)

  • 死亡時期が異なる

    • 伍瓊:董卓長安遷都「以前」に処刑されたとされる。[1]

    • 伍孚:董卓長安に遷都した「後」、暗殺未遂で殺された。[1]
      → 時系列が一致しないため、同一人物とすると矛盾が生じる。

  • 官職の違い

    • 伍瓊:侍中・城門校尉として記録される。[2]

    • 伍孚:侍中・河南尹・越騎校尉まで昇進したと記録される。[1]
      → 特に「越騎校尉」は伍孚の肩書であり、伍瓊には通常出てこない。

  • 董卓伝集解』など後世の注釈は “別人” と断定
    → 伍瓊と伍孚は別人とする立場が明確に存在する。[1]


🧩 同一人物説が出てくる理由

  • 字(徳瑜)と出身地(汝南)が同じ
    → これが最大の混同ポイント。

  • 裴松之は「同一人物の可能性もある」と注記
    → ただし断定は避けている。[3]

  • 三国志演義』では作者・羅貫中が「別人」として描いている
    → これは史実ではなく文学的判断。[4]


📚 史料比較(簡易表)

項目

伍瓊

伍孚

徳瑜

徳瑜

出身

汝南

汝南

主な官職

侍中・城門校尉

侍中・河南尹・越騎校尉

最期

長安遷都前に董卓に処刑

遷都後、董卓暗殺未遂で処刑

主な史料

後漢書』『三国志董卓

謝承『後漢書』・裴注


🧠 総合判断

  • 同一人物とすると時系列・官職が矛盾する

  • 後世の注釈(董卓伝集解)は明確に別人と断じている

  • ただし字と出身が同じため、古来より混同されてきた

現代の研究では「別人」とするのが最も整合的。

 

[1] 伍孚 - 3Pedia  [2] 伍瓊 - Wikipedia

[3] 伍瓊 徳瑜 (ごけい とくゆ) - Gokei

[4] 伍瓊(ごけい)の最後には謎がある - 歴史の史実研究所

     

    んー、AIはこう言っているが、今に至っても同一人物か別人かは議論が分かれる感じだな。

    荀攸伝で伍瓊の官職が伍孚と同じになっているのも気になるとこですね。

    まあ、結局のところは各々が勝手に思うしかない、と言うことだな

     

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    簡単解説

    伍瓊は他の作品には出てきていませんでしたね。

    同じ読みで呉景がいるからな。知名度の低い武将は読み名が被るとはじかれる傾向があると思う。  

    一応伍孚は三国志14では出てくるが、ワシとは評価が違う感じじゃな。伍瓊と伍孚の評価もだいぶ変わってるんじゃよ。詳しくは伍孚の人物紹介の方をご覧くだされ。

    さて、そんなところで伍瓊の紹介は終了じゃな。

    ふむ、それではここで帰るぞ。また次もよろしく頼む。  

    張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。