三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

斉周(せいしゅう) 字:不明(?~?)

さて、今回は斉周じゃな。漁陽郡の人ぢゃ。

字は不明、生没年も不明じゃな。元々は劉虞の従事じゃったが、193年に劉虞が公孫瓚との戦いに敗れ処刑された後、劉虞の敵を討つための策謀を巡らすこととなる。その辺りを説明しようかの。

人物紹介

まず従事じゃが州刺史・牧の属官でいくつか職責はあるが、まあ相談役のような役割を担っておった、と思ってもらえれば良いじゃろう。劉虞が亡くなった後従事の斉周、同じく従事の鮮于輔、騎都尉の鮮于銀が策略を巡らして閻柔を引き入れ、異民族の軍を取り込むことに成功したんぢゃ。

そして彼らは漁陽太守の鄒丹と潞北で交戦し、さんざんにこれを打ち破って鄒丹を斬り殺しておるんじゃ。従事と言う役割、そして公孫瓚打倒のための策略、この辺りが彼を評価するキーになるじゃろうな。

と言うことで能力評価行くぞい。今回は天舞~三国志正史~のみ出演しているぞい。

能力評価  

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉虞(20歳)  55 65 95 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 劉虞(45歳)  84 95 128 90

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斉周が従事として、相談役とかを務めておったんじゃなかろうか、と言うことと、公孫瓚を倒すための謀議を進めて上手く成功させておることから、知謀を高めにしておる。

同じ従事の鮮于輔は後に曹操に帰順し、幽州六郡の統治を任されていることから、斉周とは知謀、政治の評価を逆にしておる感じじゃな。どちらも優秀な官僚じゃ。鮮于輔も近日紹介するぞい。

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 劉虞  6 7 4 2 2 4

 

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は斉周じゃな。劉虞の従事を務めておったんじゃ

魏攸とはまた別の参謀になるんですね。

うむ、従事と言っても常に君主の側近くに控えておる訳ではないからのう。役割が不明な部分もある。特に劉虞が亡くなった時に生き残っておる、と言うことは多分別の所で別の職務に励んでいたんじゃろうな。

主君の側に居られなかったと言うのは無念だったでしょうね。

そうじゃな、実は劉虞の所では書いておらんかったが、劉虞が処刑された時に、劉虞に殉じてわざわざ出向き、公孫瓚をののしりながら処刑された人物が何人かおるんじゃ。

殉死ですか。やっぱり劉虞って人望は相当あったんですね。それだけに安易に公孫瓚を襲撃しちゃったのってもったいないですねえ。

うむ、斉周達が閻柔と上手く軍を率いて公孫瓚を撃破しておることを考えると、もう少しきちんと計画を立てておれば、と思うのう。さて、今日はここまでかのう、ではまたの。

次も見てくださいね、それではまた!