さて、今回から劉虞陣営の紹介じゃな。最初はもちろん劉虞ぢゃ。
字は伯安。193年に公孫瓚との戦いに敗れ、酷い言いがかりにより処刑されておるのは公孫瓚の所でも書いている通りぢゃ。
彼はどんな人物でどうして公孫瓚 に敗れたのか。簡単に説明していこうかの。
人物紹介
元々劉虞は昔幽州刺史として赴任しており、異民族を心服させておったんじゃ。公孫瓚が討伐に手を焼いておったことで、再び劉虞を幽州牧にすることで異民族を手なずけようとしたんじゃな。
異民族の帰順
劉虞は期待通り、異民族に調略をかけ、張純の首を取ってくるよう要求したんじゃな。
丘力居達は喜んで通訳を送り、帰順を申し出ておる。しかしそれを公孫瓚は邪魔したのじゃな。こっそり刺客を放ち、異民族からの使者を殺害しようとしたんじゃ。ろくなことはせんのうw
袁紹から皇帝への誘い
さて後に董卓が少帝を廃して献帝を擁立したことに対抗し、袁紹は劉虞を皇帝として擁立しようとしたんじゃが、劉虞が絶対首を縦に振らんかったため、結局沙汰止みになったんじゃ。
そして異民族との対応で意見の食い違いがあってから、劉虞と公孫瓚は互いに敵意が深まっていったんじゃな。
公孫瓚との戦い、そして・・・
ついには劉虞から大軍を動かして公孫瓚を攻撃したんじゃ。しかし軍の練度は足りず、また公孫瓚を捕縛するように指示したため、劣勢だったはずの公孫瓚 を破れず敗北してしまったんじゃ。
最初から殺害指令じゃったら違った結果になってたかもしれんのう。と言うことで捕まった後、酷い言いがかりで殺害されたのは公孫瓚の所に書いてある通りじゃ。さて、それでは能力評価といくかのう。今回は3作品とも出ているぞい。
能力評価
劉虞は各地の統治で非常に優れた実績があることから政治を、そして異民族を心服させるカリスマ性の高さから統率も高く評価しておる。
その一方公孫瓚襲撃の杜撰さと軍自体の弱さから軍事と知謀は抑えめじゃな。統率も軍事面でのマイナス評価から少し数値を下げざるをえんかのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回から劉虞の陣営の紹介じゃ。まず劉虞自身じゃな。
奇跡を起こせなかった方ですね。どの作品も魅力、政治が高くて、武力とかは低めですね。
うむ、彼の場合はタイプが分かり易いでの。ただ全体的に政治が低い気がするの。ワシは各地の統治で実績を残し、異民族を手なずけた手腕はもっと評価されるべきじゃと思うぞい。
師匠の統率が高いのは魅力的な意味ですか?
そうじゃな、ワシの場合は魅力の項目が無いから統率にある程度組み込むようにしておる。もっとも劉虞のように指揮能力で目立つ実績が無い場合は、実際の指揮能力が極端に高くならないように調整はするがの。
知謀が低いのは別に頭が悪いからではありませんよね?
もちろんじゃ、むしろ優秀な部類じゃろう。ただ乱世を生き抜く知恵が無かった。それが知謀が低い理由じゃな。
そう言えば公孫瓚に処刑される時は奇跡を起こせなかったが、奇跡のような逸話も実はあるんじゃ。
「英雄記」では彼の統治が余りに優れていたため盗賊はいなくなり、災害も発生しなくなったと言う。そして隣県で発生したイナゴも劉虞の治める県には入り込まなかった、との逸話があるんじゃ。まさしく奇跡よの。
それが最後の時に起きていれば・・・ですね。
まあ、逸話はしょせん逸話じゃからな。どこまで真実かもわからんもんじゃ。もしかしたらあのような最期であったがために出来あがった話なのかもしれんのう。
異民族との関係を考えるともったいない話ですね。
じゃが、彼のような人物は平和な世の中であれば名臣で行けたかもしれんが、乱世では遅かれ早かれどこかで命を落としたようにも思うのう。運の悪い人じゃと思うぞい。
さて、今回はここまでじゃのう。ではまたの。
次も見てくださいね。それではまた!