さて、今回は曹仁の二回目じゃな。
今回は彼の最後の戦いと、彼に対する評判ちょっとしたエピソード、そして能力評価じゃな。
それでは早速紹介と行こうかのう。
人物紹介
さて、今回は曹仁二回目じゃな。
今回は能力評価まで行けそうですか?
うむ、多分大丈夫じゃと思うぞい。それじゃさっそく行くぞい。
分かりました、よろしくお願いします。
曹仁の知略
曹操が高幹を攻めて壺関を包囲した時のことじゃ。高幹は一旦降伏しながら再び反旗を翻したんじゃ。曹操もムキになったのか、「城が陥落すれば、全員生き埋めにせよ。」と下知したんじゃ。こうなると相手も必死で城がなかなか落ちんのじゃよ。そこで曹仁は以下のように進言するんじゃよ。
「城を包囲した場合には、必ず生きるための出口を示してやるものです。と申しますのは、彼らに生存の道を開いてやるためです。
ところが、今公は彼らに必殺を布告しておられます故、敵の将兵は自ら進んで守りについているのです。そのうえ城壁は堅固で食料は豊富にありますから、攻撃すればわが方の士卒の傷付けることになり、包囲を続ければ長い日数をかけることになります。
今、堅固な城壁の下で軍兵を据え置き、必死の敵軍を攻撃するのは良策ではありません。」
曹操はこの意見に従うと、城は降伏したんじゃよ。見事な判断じゃ。
曹仁最後の戦い
222年、曹丕は呉への侵攻を行うんじゃが、この時曹仁は歩兵と騎兵数万を率いて、濡須を攻めるんじゃ。
この時曹仁は濡須の中州を武力で奪い取ろうと企て、呉を欺くために軍を東に送って羨渓を攻撃するのだと前もって宣伝させるんじゃ。そして実際、魏の蒋済と言う武将が別軍を率いて羨渓を襲撃するんじゃ。この蒋済と言う人物は才知に長けた優秀な参謀なので覚えておくと良いぞい。
じゃがこの時蒋済は曹仁に進言するんじゃ。
「賊は西岸を根拠とし、船を上流に並べております。中州に兵を入れるとなるとそれこそ自分から地獄に入ることになり、危険滅亡のやり方です。」
じゃが曹仁はその忠告には従わなかったんじゃな。事実羨渓を攻撃するというブラフは功を奏し、濡須の守備を任されておった朱桓は兵を分散して羨渓を送った後に曹仁が迫ってくることを知るんじゃ。ここまでは完全に曹仁のターンだった、と言うことじゃな。
しかしここで朱桓が豪胆にも、曹仁など大したことない、と兵を鼓舞するんじゃ。まあそうするしかなかった、とも言えるんじゃがな。
そうして軍旗を立てず戦鼓も鳴らさず弱体化しているように見せかけて、曹仁を誘い込むんじゃ。曹仁自身は軍全体の統率もあったので中州には乗り込まんかったんじゃが、中州に送り込まれた軍は朱桓によって撃破されてしまうんじゃよ。
曹仁自身が朱桓に敗れたのとは少し違うが、朱桓は呉を代表する将の一人であり、五将軍クラスの武将が配下にいなかったのは曹仁にとって運が悪かったのう。それとやはり蒋済の言うように中州を攻めるのは戦術的には少しまずかったのかもしれん。
こう考えると曹仁は関羽や張飛と同様、複数の軍を率いる司令官よりは、一軍の将としての方が、より力を発揮できるタイプだったのかもしれんのう。
この戦いから程なく曹仁は寿命を迎えるんじゃ。まだ56歳だったようじゃな。もう少し長く生きてほしかった人物じゃのう。
曹仁の評判
陳矯
「将軍は天上世界のお方だ。」
曹丕
「大将となって法規を遵奉すること、征南将軍(曹仁)のようであらねばならぬ。」
(弟の曹彰が烏丸征伐に赴くときに宛てた手紙)
『傅子』(曹仁伝注)
「曹(仁)大司馬の武勇は孟賁や夏育(いずれも古代の勇士)にもひけをとらない。張遼は彼の次に位する。」
曹仁の家系について
曹仁の家系じゃが、彼も曹操の従弟となっておるんじゃ。彼の祖父は曹褒と言い、曹洪の祖父の曹鼎、曹操の祖父の曹騰とは兄弟関係にあったんじゃよ。つまり曹操、曹洪、曹仁は日本風に言うならはとこの関係、と言うことじゃな。
これだけ優秀な人材に恵まれておったのは曹操にとても幸運じゃったろうな。
さて、曹仁の人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行くぞい。彼はもちろん全作品に出ておるぞい。
能力評価
曹仁を代表するエピソードは何と言っても少数の兵士で呉軍を撃退し、牛金及びその配下を救い出した件じゃろうな。このリアル三国無双と『傅子』の評価、そして戦闘実績より軍事面は武将としてほぼ最高クラスの評価としておるぞい。
また、関羽や周瑜相手の防衛に関しても粘り強く戦っておることから、統率も関羽や張飛など同時代の猛将よりは高めじゃな。最前線を任せるに足る人材と言えるじゃろう。知謀に関しても曹操に進言できるなど、標準以上の才覚を有しておる。じゃが蒋済の進言から最後の戦いはちと悪手だったのかもしれん。このままでも十分じゃが、蒋済のように知略に優れた人材を副将としてやれば、すきのない軍団が出来上がるじゃろう。
実際、樊城の時には知略と防衛能力に優れた満寵が、配下としておったのが大きかったと言えよう。優秀な人材が多いのが魏の有利な点であり、蜀に絶対的に不足していた点じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、曹仁の能力評価じゃな。
そうですね。師匠のが高くなるのはわかります。関羽とは統率と知謀が逆転していますが、ほぼ互角じゃないですか?
そうじゃな、関羽や曹仁は補強ポイントがはっきりしている分、副将の能力を生かしやすいんじゃよ。
関羽については遊撃部隊として運用するなら、張郃以上の強さですものね。
そうじゃな、普通に部隊運用するにしても、関羽は統率、曹仁は知謀を140ぐらいまで上げれば軍団の総合力は張郃以上となる。逆に張郃は余程優秀な人材を副将に組み込めないと能力が伸びん。これは結構でかいと思うぞい。
たぶんそうじゃろうな。本来はこんな数値に甘んじるような人物ではないと思うんじゃが、演義準拠なら逆に三国志14の能力値が高すぎる、と言うことじゃろうな。
天舞さんは采配がもう少し高くてもいいように思うのですが、これは猛将タイプだから、と言うことでしょうか?
うむ、最後の濡須の戦いの時の采配は少しまずった、と言うことなのかもしれんのう。張飛も確か采配が同じ10と丁度似たような能力値になっておる。どちらも猛将として采配よりも武勇を生かす似たタイプ、と言う判断なんじゃろう。
曹操自身十分強いのに、曹洪や曹仁がいることでさらに強さが極まっておる、恐ろしい軍団じゃな。さて、今回はここまでじゃな。
分かりました、次も見てくださいね、それではまたです。