三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

荀彧(じゅんいく) 字:文若(163~212)その5

さて、荀彧の紹介は今回が多分最後じゃな。

今回は荀彧のちょっとしたエピソードと評判等について語り、最後に能力評価と行くぞい。

 

さて、今回は荀彧、多分最後じゃな。

前回の曹操との関係は本当なんでしょうか?

さてな、ワシはそう思うが真実は最早誰にも分らんじゃろう。どうせ思うなら自分の都合の良いように思えばいいんじゃよ、ほっほっほ。それとこの荀彧最後の訪問にはまたちょっと面白い側面もあるからのう。この辺りも今回ちょこっと書いていくぞい。

わかりました。よろしくお願いします。

人物紹介

荀彧と曹丕

さて、ちょっと珍しい組み合わせじゃな。例の孫権討伐で荀彧が曹操に呼ばれた時のことじゃ。曹丕の著作である『典論』の中で、弓術を学んどったことが書かれておるんじゃが、孫権討伐の折に荀彧が軍のねぎらいに訪れた時、荀彧は曹丕と歓談し、以下のような話をしておるんじゃ。

「聞けば君(との)は左右いずれにも弓を射られるとか、これは実際難しい技術ですなあ。」と、曹丕はあれこれその技術について説明(技術の詳細はワシでは理解できなかったので割愛じゃ、すまんのうw)し、荀彧は喜び笑いながら「なるほど」とうなずいた、とあるんじゃよ。

『典論』は曹丕自身の手によって書かれておるので、どの史料よりも正しく、死の少し前の荀彧の様子を表しておると思うんじゃよ。少なくともこの荀彧からは、色んな軋轢で苦しむような陰は伺えんし、曹操曹丕親子に対して含むような面も見られんのじゃよ。

荀彧は名士代表?

さて、最近歴史系の書籍で荀彧は名士の代表として、名士の権益を確保するために曹操とは緊張関係にあった、という論を見るんじゃが、ワシはあまりこの論には賛成はできんのう。

理由その1

『典略』によると宦官で中常侍の唐衡は娘(養女)を荀彧にめとらせたと言うんじゃよ。荀彧の父はこの権勢に魅力を感じ、とあるが、そもそも唐衡自身は荀彧が2歳の時に亡くなっておるから、荀家にとってはあまりメリットもないと思うんじゃがな。もし権勢があったとしても、どちらかと言えば宦官側が己の権勢によって無理やり、と言う感じだったんじゃろう。

ともあれ真実かどうかは分からんが、荀彧はあまり気にしてないようなんじゃな。

理由その2

曹操の人材登用、唯材は儒学的評価と真っ向から対立する、だから名士の代表である荀彧は曹操と対立している、と言うのも聞くが、荀彧自身が郭嘉のように儒学的見地からみればあまり評価されない人物を登用しているんじゃ。

実際陳羣はこの郭嘉の行為を批判し、しばしば弾劾しているぐらいじゃ。じゃが荀彧は品行とかを特に重視しておらず、この点はむしろ曹操の唯才と合致しているんじゃな。

また曹操自身も別に儒学を完全否定しておらんのじゃ。本人は清廉で家財は余らせることなく質素な暮らしをしておった、と言うぐらいじゃからな。どちらかだけ、等と互いが狭い視野で物事を見ておらんからこそ、魏が色んな人材を抱えることができた要因じゃと思うんじゃよ。

以上のことから、別に荀彧は儒学的見地から曹操の唯才と、対立するような人物ではなかった、と言うのがワシの結論じゃな。

荀彧の評判

何顒

「王者補佐の才能を持っている。」

曹操

「わしの子房(張良)である。」

夏侯惇

「君は州全体(兗州)の抑えですぞ。」

潘勖(荀彧の碑文より)

「秀れた容姿、立派な外観である。」

司馬懿(荀彧別伝)

「書物に書かれていることや遠方の出来事、それらをわしは自分の耳や目で聞いたり見たりしているが、百数十年にわたって、荀令君に及ぶ賢才は存在しない。」

鍾繇(荀彧別伝)

顔回孔子の弟子)没後、九つの徳を完備し、過失を二度と繰り返さない者はただ荀彧一人、自分は到底及ばない。」

「太祖(曹操)の聡明さがありながら、大事が起こるたび、いつもまず荀君に相談をかけておられたのだから、これは古代の師友の建前に相当する。われわれは命令を受けて事を行うが、それでもなお任務を尽くせないことがある。その差は何と遠いことではないか。」

 

さて、荀彧の人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行こうかのう。今回は全作品に登場しておるぞい。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 荀彧(20歳)  60 75 125 155
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓
 荀彧(45歳)  90 106 161 194

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荀彧は政略、そして戦略の立て方が非常に見事。また人を見る目もあり、優秀な人材を多数推挙していることから政治はほぼ最高クラスの評価じゃな。また郭貢が押し寄せてきた時も冷静に相手の状況を読み取り、直接会いに行って相手を退却させる、と言う荒業を簡単にこなしておることから知謀も非常に高く評価できると思うんじゃ。

軍事面はさすがに実績は少ないが、兗州の守りを任されておったことからある程度の統率力を持っていた、と判断したぞい。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 荀彧  54 14 95 99 94

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 荀彧  1 11 12 15 14 11

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 荀彧  6 11 25 26 13

 

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雑談ぢゃ

さて、荀彧の能力評価じゃ。

こうやってみるとどの作品も全て政治が高い、その次が知略と言うのは皆共通なんですね。

うむ、こうやってみると見事なまでの符合じゃな。天舞さんは思ったより統率が高いのう。個人的には統率の分を2ぐらい知略に回しても良かったかもしれんのう。

師匠の評価で言うと、知謀と政治の合計値は荀彧がちょっと抜けていますかね。

そうじゃな、知謀と政治の二項目の合計は、董昭、沮授、曹操と言った名だたる人物がW150越えとなっておるが、荀彧は総合で彼らを凌駕するほどじゃ。それぐらい荀彧の功績が大きかった、とワシは評価しているんじゃ。

これだけの評価をされる人物はそんなにはいないでしょうか。

知略と政治の合計値であれば、荀彧に届く人物はそうそうおらんじゃろうな。じゃが沮授のように統率を加えて三項目の評価だとまた違ってくるじゃろうな。

沮授は確かにその三項目になると、荀彧を超えて曹操にも迫りますね。

うむ、この辺りは于禁張郃の関係にも、ちと似てるかもしれんのう。そうは言っても荀彧も統率はそれなりにあるので、軍事だけ補うことができればどこででも使えることとなるじゃろうな。

それにしても師匠の最高値は200ですよね。荀彧が194と言うのは2位ですよね。1位は誰になるんでしょうか?

ほっほっほ、そこは紹介する時のお楽しみじゃな。まあ候補はそんなに多くはないと思うから、候補数人の誰か、ぐらいに思ってくれればええぞい。さて、名残惜しいが荀彧の紹介はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

次も見てくださいね、それではまたです。