さて、今回は孔融三回目じゃな。
今回は青州刺史から献帝の下に流れ、最期を迎えるあたりまでができると良いのう。
それでは早速見ていくとしようかのう。
さて、今回は孔融三回目じゃが、この辺りから孔融のまずかった部分も語っていくとしようかのう。
前回で邴原にたしなめられたような話ですか。
うむ、孔融のアクの強さと言うか、我の強さが出てくる話じゃな。彼を見ているとある人物をわしは思い出すんじゃな。
?いったい誰でしょうか。同時代の人物ですか?
いや、少し違う時代の人物じゃな。まあそれはまたおいおい話をしていくぞい。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
北海における統治
さて、北海における話じゃ。『九州春秋』によると、彼が人を任用する場合、風変わりな者を好み、変わった者を登用した、とあるんじゃ。彼らは全て軽薄な才能の持ち主だったとあるんじゃよ。
そして学問のある人物に対するとなると、見かけは敬意を表し、礼を具えて待遇したが、一緒に国事を議論することはなかったとあるんじゃ。
例えば鄭玄の場合、高密県に告知して、特別に鄭玄のための郷(県の一つ下の行政単位)として、鄭公郷を作るほど礼を尽くしておるが、せっかく招聘した鄭玄が孔融の下で活躍した記録は残っておらんのじゃ。
また風変わりな者を好み、と言うのは後々禰衡を高く評価したことからも示されておるのう。
そして孔融の立派な議論や訓令は役所にあふれるほど伝えられており、その語気は穏やかで気品があって、朗誦して楽しむには適していたが、事実に即して考察すると、その全部を実行に移すことは困難であった、と言うんじゃよ。
また、うまく法網を張り巡らすが、その管理は極めて粗略であった、とあるんじゃよ。
このことから考察するに、孔融の政治と言うのは恐らく儒教を元にした、彼にとっての理想の政治だと思うんじゃが、恐らく現実問題から乖離した物であり、それを遵守し、管理するのが恐ろしく難しいものだったと思うんじゃよ。
孔融に似た?人物
さて、孔融に似た、と言ったらすごい失礼かもしれんが、王莽と聞いてピンと来る人はそこそこいるじゃろうか。前漢と後漢の間に新と言う国家があるんじゃが、その皇帝だった人物じゃ。
彼は前漢王朝の晩年頃に権力を握り、ついには皇帝の座を得るんじゃ。そして皇帝となった彼が取った政策じゃが、この辺りはちとWikiの情報も載せていくぞい。昔、塚本青史氏の小説『王莽』も読んだんじゃが、さすがにすべてのことは記憶しておらんかったわ、すまんのう。
さて、この王莽じゃが、彼は周代の政治を理想としており、『周礼』等の儒教の書物を元に国策を行うんじゃな。
じゃが、周代と言えば王莽達の時代から見て、最大で1000年も昔の話じゃ。世の中の色々なシステムが違っている中で、むりやり制度をそちらに合わせようとしてもうまく回るはずがない。破綻しては修正を繰り返し、それの連続で政策に誰も付いていけなくなり、官民ともに疲弊してしまうんじゃよ。そして結局国家運営そのものが破綻してしまうんじゃな。
何となく、小説の王莽を読んだ時に、国家運営のやり方がちょっと孔融に似ているかも、と思ったんじゃな。孔融も法令を作るのは得意でも、それが時宜に適ったものか、また運用面でどこかに無理があったりしたのではないか、と思われるんじゃな。
この辺りが、政治は辺譲達の方が上、と言われる所以だったんではなかろうか。
青州からの退去
さて、北海の相から青州刺史となった孔融じゃが、『続漢書』によると、これを推薦したのは劉備になっておるの。
じゃがその内黄巾の賊が攻めてくるんじゃな。この時孔融は淶水のほとりで迎え討とうとするんじゃが、賊軍は上流域の軍を孔融と対峙させつつ、両翼の軍にまっすぐ河を渡らせ政庁のある城へと迫るんじゃ。結局城を失った孔融は転進して南県へと逃れるんじゃ。
ちなみに、鄭玄には子供がおり、孔融の官吏となり、孝廉に推挙されたんじゃ。後に孔融が黄巾残党軍に包囲された時、彼の下に駆け付け、賊の手にかかって殺害されたと言うんじゃ。彼の奥さんはお腹の中に子供がおったそうじゃ、哀しい話じゃのう。
結局こんなことが続き、色んな犠牲を払いつつ、失地を奪回することができないでいる内に、終には袁紹の息子の袁譚が攻め込んでくるんじゃよ。最後は皆孔融の下を去り、孔融も身一つで逃れることになるんじゃな。
軍事面も孔融は得手とは言えんかったんじゃろうな。
そして献帝が曹操の勧めで許昌に都を移した時、孔融も呼び戻されるんじゃ。
『漢紀』によるとこの時孔融は古代の制度に依拠し、王城の地を定め、司隷校尉の管轄する地域を是正して千里以内の封域とするのが良いと考えた、とあるんじゃ。じゃが続けて、孔融の建白は、時勢に即した対策を理解しないものだった、と書いており、ここでも孔融の作ろうとしている制度が時宜に適っていないんでは、と思われるんじゃな。
さて、ようやく曹操の近くに孔融が招かれたが、今回はここまでじゃな。孔融も長いのう。
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雑談ぢゃ
さて、孔融の紹介三回目じゃな。
孔融を見てて思いましたが、理想と現実、と言う言葉がここまでぴったりくる人も珍しいですね
そうじゃな、理想は理想であって、それが現実できるかどうかと言うのはまた別じゃからのう。じゃがまあ回収できるめども立たないようなザルな予算を計上して、無駄にハコモノを作ってる連中を見てると、笑ってはおれんのう。
めずらしいですね、師匠政治批判ですか?
いや、そこまではないぞい。無駄なモノ、金はある程度は必然的に発する。色々不満はあるじゃろうが、それに対して愚痴程度で済んでいる内は、まだ日本は平和な国じゃ、と言うことじゃな。
孔融の場合は愚痴程度では済まない時代だった、と言うことですかね。
そうじゃな、弱肉強食の時代に、己で軍を指揮できないようでは、国を保つことはおよそ不可能じゃ。
いよいよ次から曹操との絡みが見えてくるのですが、後一回で終わりそうですか?
どうかのう、孔融の最後と共に細かいエピソードも含めるともう二回ぐらいになりそうじゃな。荀彧並みに長くなってしまうが、次もよろしく頼むぞい。
良ければ次も見てください、それではまたです。