さて、それではサクラスターオーとタマモクロスの伝説の続きじゃな。
奇跡の二冠馬、白い稲妻
覚醒と復活
さて、悪い時には悪いことが重なるもので、1987年の夏、7月30日にタマモクロスの母親が亡くなってしまう。
じゃがこれがきっかけなのか、勝ちきれないまでもレースにおいて彼女は根性を見せるようになるんじゃ。トレーナーもこれを見て一つの決断をするんじゃ。
タマちゃん、もう一度芝を走ってみようか?
タマモの表情に怯えの色が走る。芝のレースでパンクに巻き込まれて以降、彼女はずっとダートを走っていた。しかし彼女の走法はどう考えても芝の方が向いているんじゃ。心の傷を克服できれば、もしかしたらタマモは化けるかもしれないんじゃよ。
分かった、もう一度芝を走る。
力強くタマモは応えるんじゃ。
1987年10月18日 タマモクロス 400万下 1着
これまでのもどかしさは何だったのか。中団やや前目に取り付いたタマモは、直線だけで後続を7バ身ちぎっての勝利を収めるんじゃよ。
自分で自分が信じられないタマモ。
ダートでこんな足は一度も使えなかった。ダートと芝ってこんなに違うんだ・・・。
そこにトレーナーがやってきて言うんじゃ。
以前のようにウマ込みを怖がるようでは、流れが速くて厳しい芝のレースは使えなかったのよ。だからゆったりしたペースになるダートしか走らせてやれなかったの。でも、タマちゃんが根性を見せるようになったから、今回のレースは実現したんだよ。
どこまで行けるかわからないけど、今後は芝を走ろうね、とトレーナーは言う。
タマモクロスは力強くうなずく。まだ線は細いが、以前のような頼りなさはもう見られない。
1987年11月1日 タマモクロス 藤森特別(400万下)1着
ここもタマモクロスにとっては通過点でしかなかった。最終コーナーで早めに先頭に立つと、何度か後続の状況をうかがう余裕まで見せ、その状態で8バ身ちぎってしまうんじゃ。もはや条件戦で走っているのが不思議なぐらいの覚醒ぶりであるの。
だが結局条件馬だったことから、翌週の菊花賞には使うことができず、次はGIIの鳴尾記念を目指すこととなるんじゃ。
そしてタマモの走りに触発されたのか、それまでずっと足元がもやもやしてて、走れるのかどうかはっきりしなかったスターオーが急激に状態を上げ、菊花賞に間に合いそうな雰囲気になるんじゃよ。
タマモクロスが心配そうに
スターちゃん大丈夫なの?
と尋ねる。スターオーは
今回のタマちゃんの走りで、私は勇気をもらった。だから絶対に勝てる。
と力強く答えるんじゃ。
いよいよ運命の菊花賞、六ヶ月ぶりのぶっつけ本番で走れるのか。皆が見守る中、菊花賞が始まるんじゃ。
1987年11月8日 サクラスターオー 菊花賞(GI)1着
スタートして中団やや後ろから、先頭集団がややかかり気味でバタつく中、スタミナを温存するように、息をひそめて追走をするスターオー。気配は悪くない。
そして第三コーナーの坂の辺りからじわっと進出し、最終コーナー手前で先頭集団に取り付くと内から一歩ずつ力強く抜け出し、見事に後続を抑えトップでゴールイン。
実況の「菊の季節にサクラが満開!!」と言う名フレーズが、お茶の間に流れたのはこの時の話じゃな。
ともあれ六ヶ月ぶりの菊花賞を勝利し、伝説の二冠馬が誕生した瞬間じゃよ。
1987年12月6日 タマモクロス 鳴尾記念(GII)1着
前走の条件戦からいきなり重賞に出ることになったが、現在のタマモクロスは並のウマ娘ではもう止めることができない。道中はずっとほぼ最後方から追走するも、最終コーナー手前の辺りからするすると上がっていき、最後の直線では二人のウマ娘の間、そんなとこ割って入れるの?と言うところをこじ開けて突き抜け、気が付けば後続に6バ身差。
稍重にも関わらずコースレコードのおまけつきで勝利を収めてしまった。これにはスターオーも驚き喜び、
やっぱりタマちゃんは凄かった。もし今一緒に走ったら負けるかも。
と言うんじゃ。
そんなことはないと謙遜するタマモだが、ようやくスターオーと肩を並べて走れるところまできた、と言う充実感はあった。
次は年明けの金杯だっけ、私は年末の有馬に出ることに決まったから、一緒に走ることはまだできないね。
と少し寂しそうに話すスターオー。
トレーナーは来年の天皇賞が目標って言ってたから、そこで絶対一緒に走ることになるよ。
そうだね、それじゃ私が有馬勝って、タマちゃんが金杯勝ったら、また祝勝会でもしようよ。
分かった、お互い頑張ろうね。
そう話をし、分れた二人であった。どちらも己の勝利を信じてそれぞれのレースに臨むんじゃ、そして・・・。
1987年12月27日 サクラスターオー 有馬記念(GI)-着
スターオーはゴール板を通過できなかった。急遽出走を決めた有馬記念じゃったが、調子は良かった。じゃが3コーナーを過ぎたあたりでわずかに窪んでおった穴に足が嵌り、致命的な怪我を負ってしまったんじゃ。
それはもう二度とウマ娘としては走れないほど絶望的なものだったんじゃよ。
その結果を聞き、タマモの心は千々に乱れた。
来年一緒に走ろうと誓った天皇賞。まだ一度も一緒に走ったことがないのに、なぜこんなことになったのか。まだ二人とも3歳を終えたばかり、これからではないか。
更にタマモに嫌なものが頭をもたげてくる。払拭したはずのウマ込みがまた怖くなってきたのだ。
もう金杯は目の前、来週だ。走りたくない!!でもそんなこと、誰にも言えるはずもない。皆そんなリスクがあることを承知で走っているのだ。
ろくに眠れず、非常に悪い状態のまま、金杯の朝を迎える。
1987年12月6日 タマモクロス 金杯(GIII)
この日のタマモは明らかに状態がおかしかった。後方から追走することはままあるにしても、第三コーナー辺りからは進出して先団には取り付くことが多かったんじゃが、それもない。
最終コーナーを回ってもまだ後方二番手、前には14人のウマ娘達が壁となっている状態じゃった。周りも本人もあきらめかけたその時、タマモの耳にスターオーの声が聞こえた・・・気がした。
病院でまだ治療しているはずのスターオー、ここにいるはずもない。
だが、その声を聞いた(と思った)瞬間、タマモは弾けた。目立つ大外一気などと言うかっこいい走りではない。じゃがある意味伝説的な走りじゃった。
ウマ込みの中に自ら突っ込み、ウマ娘達の間を縫うように駆け抜け、最内から抜け出し先頭に立った瞬間がゴールじゃった。実況もカメラも誰もタマモの姿をまともに追えておらんかったんじゃよ。まさに白い稲妻。
スターちゃんは怪我によって、もう元の通りに走ることができないかもしれない。だったら自分が代わりに、どこまでできるかは分らないけど、きっとスターちゃんだったらたどり着けたであろう高みを目指して走るんだ。
そして後は本編へと続くんじゃな。これにてタマモクロスとサクラスターオーの話はおしまいじゃよ、ほっほっほ。本当はもっと他にも魅力的なウマ娘達がおるから、その辺りとも絡めたいんじゃが、ワシの実力ではこの辺りが限界じゃな。まあこうして3期をタマモとスターオー中心の話にしておいて、4期がオグリ含む平成三強のお話へとつなげれたらなあ、とは思うぞい。
多分二、三日後に見返したらこんな文章書いちまって、とワシ死ぬほど後悔して消したくなるんじゃろうなぁw