さて、今回紹介するのは呂布の紹介、これで最後じゃな。今回は呂布の最後と、能力評価を行うとしようかのう。
さて、呂布の紹介6回目まで来てしまったのだな。
どうも、張郃だ。曹丞相に及ばないとは言え、6回も消化したのは凄い話だな。
筆マメのエピソードとか、ちょっと意外な話でだいぶ稼いでいましたからねえ。
そうじゃな有名人は本来語られつくしておることが多いから、あえて紹介するほどのことってあまりないんじゃがな。呂布のような敵役の場合、意外なエピソードが埋もれておることが多そうじゃな。
これは・・・董卓の時とか凄いことになるかもですか?
どうかのう、呂布ほど意外と言えるエピソードがあるかどうかじゃろうな。さて、それでは呂布の最後を見ていくとしようかのう。
人物紹介
再度、曹操への反旗
198年(建安三年)呂布は再び曹操に対して反旗を翻すんじゃ。前回まで曹操と書簡のやり取りをやっておる限りでは、何故そんな行動に走ったのかは分からんのじゃが、『英雄記』による記事でこの少し前に楊奉が劉備によって斬られたことと関係があったのかもしれんのう。
これにより呂布は劉備や曹操に対して、結局は自分も楊奉等と同じように討伐を受けるのではないか、と。
さて、呂布は再び袁術と結び、高順に命じて劉備を攻撃させ、これを破り、曹操も夏侯惇を派遣するんじゃが、彼もまた高順によって撃ち破られるんじゃ。
そしていよいよ、曹丞相が自身兵を率いて、呂布の討伐に赴く訳だな。
これによりついに呂布の進退も極まったように見えるんじゃが、どうなるかのう。
呂布の必死の反抗
曹操は下邳に到達すると、呂布に手紙を送り、利害を説いて降伏を勧めるんじゃよ。呂布は降伏しようと考えるんじゃが、曹操に反抗して呂布を呼びこんだ陳宮達は必死でこれを止めるんじゃよ。
まあすでに一度曹操を裏切っている陳宮達にしてみれば、どの面を下げて曹操に降伏できるのか、と言う感じであったのじゃろうなあ。
呂布は袁術に援軍要請しつつ、自ら千騎余りを率いて出陣するも、敗北して逃げ帰り、思い切って外には出ないようになってしまったんじゃ。
配下の将軍たちもそれぞれ気持ちが違っていて疑心暗鬼になり、これによりさらに敗北を重ねることとなるんじゃよ。
曹操が塹壕を掘って三か月間、これを包囲したために、更に人心が離れ、呂布の将の侯成・宋憲・魏続らが陳宮を縛り上げ、軍勢を率いて降伏したんじゃ。
上下が心を一つにして城を守っていれば、こんなことにはならなかったであろう。この頃の呂布の求心力はここまで落ちてしまった、と言うことだな。
そうじゃな、さて、いよいよ最後の時じゃな。
呂布の最後
呂布は直属の部下と共に白門楼のところに登っていたんじゃが、包囲が厳しく部下も降伏したことで、自身も降りて降伏したんじゃ。こうして呂布は生け捕りにされたんじゃよ。呂布が
「縄目がきつすぎる、少し緩めてくれ。」
と頼み込むと、曹操は
「虎を縛るのだから、きつくしない訳にはいくまい」
と答えるんじゃ。更に呂布が
「殿が気にされているのは私一人にすぎないでしょう。今はもう降伏したのですから、天下のことは心配することはありますまい。殿が歩兵を率い、私に騎兵隊を率いさせたならば天下を平定するのはわけのないこと。」
と頼み込むと、曹操はためらいの色を見せるんじゃ。するとその場にいた劉備が進み出て
「殿は呂布が丁建陽(丁原)と董太師(董卓)に仕えながら、裏切った事実をお忘れか。」
と言うと曹操はうなずいたんじゃ。これで呂布の運命は決してしもうた。呂布は
「この男(劉備)こそ一番信用ならんのだぞ。」
と最後あがくも、結局処刑されるんじゃよ。じゃがこの呂布の台詞は図らずも当たってしまう。実は呂布の方が人としては甘いところがあるのかもしれんのう。
事実最後に三国の一角を占有したからな、袁紹殿の下で数度会っているが、心の奥底を見せない、油断のならない人間だった、と言う印象が強烈に残っているな。
そうじゃな、さて、これにて呂布の紹介は終わりじゃな。続けて能力評価に行くぞい。もちろん全作品に出ておるぞい。
能力評価
呂布は曹操にこそ敗れておるものの、他劉備や袁術、張燕等大物相手には余裕で勝っており、また個人的武勇も伝説的な実績を持っておることから、軍事能力は最高値としたんじゃよ。後、胡軫をはめたり書簡を送って抵抗していた武将を寝返らせたりと、知謀も一定以上の評価として見たんじゃ。
その一方、配下の心をまとめ上げられず、最後は子飼いの武将が曹操に降伏していることから統率は抑え目、政治的判断は失敗が多かったことから、かなり低めの評価としたんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、呂布の能力評価じゃな。
ふむ、皆武力、軍事は最高値を叩き出しておるのだな。
ここはなんだかんだで演義、そして最初の光栄さんの三国志の評価が影響していそうですね。
そうじゃな。呂布が実際に最強であったかどうかはともかく、史書を見ても、武勇伝を見る限り別に呂布が軍事最強でも良いんじゃなかろうか?と思わせるものはあったからのう。
それにしても、お主の呂布の評価、これは遊撃隊向きの指揮官と言える評価になるな。遊撃武将としては関羽以上ではないか。
確かに遊撃武将に必要な軍事と知謀、どちらも関羽より一枚上手の評価じゃからな。その代わりバランスは関羽のが上じゃな。まあ良い落とし所ではなかろうか。さて、呂布の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。