さて、今回紹介する人物は劉壱じゃな。字は不明、生年も不明じゃな、彼は既に一回名前が出ておるが、どんな人物だったのか、見ていくとしようかのう。
さて、今回は劉壱の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。華歆殿のところで確か出てきていたな。
私もかすかに記憶にありますね。
まあ出番は多くないから、あまり記憶には残らんかもしれんがのう。それでは早速見ていこうかのう。
人物紹介
さて、劉壱の出番じゃが、『華歆伝』の裴松之注『江表伝』じゃな。虞翻が華歆に予章郡を孫策に譲るよう説得に来るんじゃが、虞翻が別れた後、華歆は功曹の劉壱を請じ入れて、相談するんじゃ。
劉壱は華歆に城に留まり檄文をやって孫策軍を迎え入れるように勧めたんじゃ。
華歆は
「わしは劉刺史(劉繇)に任命されたものだが、お上が採用されたのだから、正式に任命された官吏と同じことだ。今、卿の考えに従うと恐らく死んでも咎が残るだろう。」
と言うんじゃ。それに対して劉壱は
「王景興(王朗)は既に漢朝の用いるところとなっています。その上、あの時(王朗が孫策に降伏した時)会稽は人も多く勢いも強く盛んでしたが、それでも漢朝から降伏の罪を許されております。太守は何を気になさいますか。」
と答えたんじゃよ。
これにより華歆は降伏を決意する、と言うことなんじゃな。
難しいところだが、許される・許されないの問題ではなく、華歆殿の中に存在する罪の意識の問題だったのではなかろうか。自身が降伏を良しとするか否か。そこは劉壱は読み取れんかったのだな。
孫盛はこの劉壱の言を、邪悪な学者の説、と言い放ち、華歆を小ばかにするんじゃが、彼の著述は余計な脚色や著述も多い。恐らく己の理想とする人物像はあるんじゃろうがそこに無理やり当てはめようとする傾向があるんじゃろうな。
孫盛と言えば、曹操殿が呂伯奢一家を殺害した時に、「むしろ我人に背くも~」の一文を入れた阿呆か。本人は名文を作ったつもりなのだろうな。いい気なもんだ。
まあ、その辺りの文章を創作するのも史家の腕の見せどころじゃからな。とは言えワシらはその創作によってもしかしたら人物像を大きく捻じ曲げられているのかもしれんのう。
さて、劉壱の人物紹介はこれで終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの紹介じゃな。
能力評価
劉壱は孫盛から邪悪な学者呼ばわりされていることから、悪口とは言え、学者として認識されており、実際に華歆を説得していることから、知謀と政治を高めとしたんじゃ。
じゃが軍事面はまるで実績がないことから、軍事と統率は抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、劉壱の能力評価じゃな。
典型的な文官の評価、と言うところか。
実際、課金を説得した訳ですから。
じゃが華歆の心情、何故そこまで気にしたのか、を読み取った訳ではないからのう。
ふむ、まあそこが歴史に名を大きく残せるかどうかの差なのだろうな。
そうじゃな、華歆に比べれば、知謀と政治がもう一段抑えられているのはその辺りとも無関係ではないんじゃよ。さて、今回はここまでじゃが劉壱の紹介、如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。