さて、今回紹介するのは王咸じゃな。字や生没年は不明じゃ。彼もまた劉焉の益州支配の犠牲者となった人物じゃろうか。それでは見ていくとしようかのう。
さて、今回紹介するのは王咸じゃな。
どうも、張郃だ。この辺りから紹介される人物はしばらくは、劉焉と争った人物と言うことになるのだな。
演義ですと劉焉って確か幽州の支配者で劉備立ち上げ時に引き立ててくれた人物でしたから、大分イメージが違いますね。
まあ演義は小説じゃから改変されている部分はあると思うんじゃ。結局同じ史書を読んだとしても、人によって受け止め方は違ってくるからのう。それが解釈の違いとして出てくるんじゃろうな。
人物紹介
さて、劉焉が強権を発動しだした頃、王咸は巴郡太守だったんじゃが、北方から大量に流入してくる移民や自らの中核となる東州兵を得るに当たって、益州豪族たちに牙をむき始めたのは李権のところでも話した通りじゃな。
そして李権同様に王咸も劉焉によって処刑された、とあるんじゃ。
漢中太守であった蘇固も、張魯たちによって打ち倒されていたことから、劉焉は強硬な態度で各地の太守たちを打ち倒していたようだな。
これにより、王咸の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回もワシのみの評価じゃな。
能力評価
王咸は巴郡太守であったと言うことで、先に紹介した李権は県長であったんじゃな。そのことから総合能力的にはやや王咸を高めの評価としたんじゃよ。
じゃが、逆に李権程の逸話が無いことから、とがったの能力にはならず、全体的にほどほどの評価に落ち着いたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、王咸の能力評価じゃな。
ふむ、巴郡太守で軍を率いることもあるからか、軍事面も極端には低くしておらんのだな。
県の上に郡があると言うことは率いる兵数も郡の方が多めになる、と言うことですね。
そうじゃな、そこも考慮してわずかじゃが王咸の方を高い評価としたんじゃよ。まあこの辺りは実績の有無で、簡単にひっくり返るほどの差でしかないがのう。
とは言え実績が同じぐらいであれば差は付けるべきであろうからな、とは言え、全体の中での調整は難しいだろうな。
まあ、多少時代や場所が大きく離れることで、自身の思い描く武将の評価値に多少のばらつきが出ることは許してくだされい。さて、王咸の紹介は以上じゃが、如何じゃったろうか。今回もたいしたことは書けておらんが、良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰ろう。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。