三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

龐羲(ほうぎ) 字:不明(?~?)

さて、今回は龐羲の紹介じゃな。字と生没年は不明じゃが、彼は劉璋らとも縁が深かったと聞くんじゃ。どんな人物だったのかのう。

 

さて、今回は龐羲の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。ふむ、元劉璋の腹心で後に劉備にも仕えた人物だな。 

張郃さん、今日は妙に詳しそうですね。龐羲と言うのはそんなに重要な人物だったのでしょうか。

演義の扱いは軽いが、彼は劉璋政権において多分最大の権勢をふるっておった人物ではなかろうか。さてそれでは龐羲について見ていくとしようかのう。

人物紹介

命の恩人

時代は丁度長安馬騰や劉焉の息子の劉範が李傕達に反旗を翻した頃のことじゃ。

この計画は失敗に終わり、劉範と弟の劉誕まで捕まって処刑されてしまうんじゃ。では残りの一族はどうなったか。

ここで登場するのが龐羲なんじゃな。一族にとっての救いの手だったんじゃ。

当時魏郎であった龐羲は劉焉と先祖以来の交際があり、そのため劉焉の孫たちに呼びかけ、彼らを引き連れて蜀に入国したと言うのじゃ。

劉焉、劉璋達にとっては自分たちの子孫を救ってくれた、まさに命の恩人と言ったところだな。

劉璋とのすれ違い

このように劉璋にとっては友人でもあり、命の恩人でもある龐羲がそのまま放っておかれるはずもなく、劉璋は彼を巴西太守に任じたんじゃよ。

丁度この時期張魯の私兵が巴西に結集していたため、彼らが余計な動きをしないよう睨みを効かせる、非常に重要なポジションであった訳じゃ。

こうして、彼は益州劉璋政権において重要なポジションを占めることとなった訳じゃが、ここで彼と劉璋の間に亀裂が入る出来事が起こるんじゃよ。

『季漢輔臣賛』によると、張魯の軍兵を見たであろう龐羲は、今は天下騒乱の時で、郡にも守備兵が必要だと考え、盛んに私兵を招き集めるようになったんじゃ。

じゃがこのことで劉璋に讒訴する者が現れ、龐羲には反逆の陰謀がある、と説いたため、劉璋は龐羲に疑いを持ってしまうんじゃな。

権力欲に取り付かれたどこぞのあほうのやったことであろうが、それに踊らされる劉璋も情けない話だ。重要な地位にいたからこそ龐羲はそんな目にあったと言うことだな。

じゃが、このことを漏れ聞いた龐羲は恐れを抱き、守りを固めることを計画し、更に兵を集めようと画策した訳じゃ。ここでこのような動きに出る龐羲もちょっとずれているかのう。

じゃが、ここで当時県長であった程畿の拒絶が起こるんじゃよ。

 

程畿の、たとえ息子を失っても劉璋に対して裏切ることはできない、と言う抵抗に目が覚め、素直に劉璋に陳謝するんじゃよ。

劉璋も事情を理解すれば、龐羲を処罰する理由はない訳じゃからな。そのまま彼を処罰することなく変わらずに重用しておったようなんじゃよ。

そして劉備の下へ

その後も劉璋の重鎮としての立場におった龐羲であるが、劉璋劉備に降伏すると、そのまま龐羲も劉備に仕える形になったようなんじゃ。

劉璋時代よりは扱いは軽かったであろうが、蜀志『先主伝』を見ると219年に群臣が劉備を漢中王に推挙する上奏の中で、龐羲は馬超許靖に次いで三番目に名前を連ねておるんじゃ。もちろん劉備の元からの臣下である関羽張飛諸葛亮等よりも先に名前が載っておる、と言うことから実権はともかくとして、非常に重要なポジションにいたのは変わらんのであろう。

劉璋との軋轢のようなマイナス面も見られたが、彼は士を好む、と言うことで鄧芝が彼の下に身を寄せていたりもする、結構懐の広い人物でもあったようじゃな。

さて、これにより龐羲の紹介はおしまいじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼は鄭問さん以外の作品に登場じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 龐羲(20歳)  50 70 45 90
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 龐羲(45歳)  79 101 73 123

 

龐羲は劉焉の孫たちを救う等の手際の良さ、そして巴西太守として兵が必要と言う判断から的確に兵を集めるなど、政治判断は良いと考えられ、政治能力を一番高く評価したんじゃ。

また士を厚遇すると言う評判から統率も高めなんじゃが、軍事的実績はないことと、讒訴に踊らされ判断を誤ったことから、軍事と知謀は抑えめの評価じゃな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 龐羲  60 38 68 74 62

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 龐羲  1 4 5 8 2 7

 

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雑談ぢゃ

さて、龐羲の能力評価じゃな。

ふむ、これはまた似たような評価が並んだな。いずれも軍事や武勇より統率が高く、知力・策略よりも政治能力の方が高い、と言うのは一致した評価だ  

多少軍事側の評価に違いが見られる程度で、傾向としては同じなのですね。

そうじゃな、軍事面の実績はないことから、この辺りのばらつきはどうしても起きてしまうであろうが、政治が一番高いのが龐羲の人物像を一番よく表していると言えそうじゃのう。 

これぐらい分かり易い人物であれば、評価している人間達も楽であろうな  

さて、龐羲の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。それとお盆休みなのでまたしばらくお休みとなりまする。ご容赦くだされ。

よし、俺もしばらく骨休みさせてもらうとするかな。  

張郃さん、いつもありがとうございます。それでは皆さんもお盆休み事故やケガ、病気には気を付けてくださいね。それではまた次もよろしくお願いします。