さて、今回は袁紹の次男、袁煕の紹介じゃな。彼は幽州の統治を袁紹から任されており、袁一族の中で一番最後まで曹操に抵抗しえた人物と言えるかもしれんのう。
さて、今回は袁煕の紹介じゃな。袁紹の次男で兄や弟ほどの派手なエピソードはないが、個人的には袁紹の息子で一番の良心だったのではないか、と思うんじゃよ。
どうも、張郃だ。袁煕殿の最後の話などを聞くに、冷静に状況を把握し、事態の推移を見通しておったようだからな。
幽州は一番遠いから生き残れていただけではないと言うことですか。
それだけなら、鄴が陥落して袁尚が逃げ、袁譚も敗死した際に幽州で袁一族に対する反乱や動乱が起こってもおかしくないであろう。そう言うのがなく、逆に烏丸族と手を結んで丞相に対抗しようとしたのは、袁煕殿の統治が一定以上の成果を残していた、と言うことだ。
確かに、思った以上に袁煕は有能そうな感じと言うことじゃな。少し評価を見直しして、能力評価と行こうかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関してじゃが、彼に関しては兄や弟ほど武勇面に関する記述はないことから、全体的にはやや抑えめの評価と言ったところじゃ。ただ幽州をきっちり押さえておったことを考慮しているんじゃよ。
なるほど、軍事より統率の方が高いのはそういう意味があったのだな。
知謀・政治
知謀と政治は幽州を安定して治め、烏丸ら異民族とも協調関係を結べておったこと、また袁尚と袁煕が公孫康に捕まり、凍った地面に坐らされた時のこと、寒がって蓆(むしろ)を求める袁尚に対し
「首が万里の旅に出かける時になって、何の蓆がいるものか。」
と言ってのけたんじゃよ。
最後の台詞、自分の行く末が見えているのに冷静な物言い、それにしても自分の運命を・・・そこまで冷静に受け入れられるものなのでしょうか。
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簡単解説
天舞さんが案外評価が高くないのですね。
ちょっと調べてみたが、天舞の場合、袁紹も含めて一族の能力は全体的に抑えられているな。そのため、天舞三国志内で見ると妥当な評価と言うことになるのであろう。
評価って見方とか時代によっても変わってきますものね。師匠も昔作ったデータですが、アップの際に事績を見直して、もう一度評価しなおしているそうです。
昔では読み込めていなくて、評価があいまいになっていた部分もあったのであろうな。
恥ずかしい話じゃが、実はその通りで、昔は三国志全人名事典で簡単に個人の事績を見て評価しておっただけなんじゃ。
あれは確かに簡潔にまとめられているが、個人の情報すべてを載せているわけではないからな 。
おっしゃる通りで、正史本文を読み込んでいくと気づかされることも多々あったんじゃよ、今回の袁煕もそのクチじゃな。さて、袁煕の人物紹介はここまでじゃが、如何だったじゃろうか。今回はここまでじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。