さて、今回は袁紹と同じ汝南袁氏の一人で、袁紹の従弟に当たる袁叙の紹介じゃな。字や生没年は不明なんじゃよ。
さて、今回は袁叙の紹介じゃな。あまり知名度は高くない人物じゃな。
済陰郡って確か予州側に面していますよね。それでも袁紹の人物として紹介されるのですね。
まあ袁紹の方に、より関わっていた人物であるからな。
ワシもちょっとそこは迷ったんじゃがな。まあ袁紹寄りの人物と言うことで、早速見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
袁叙は三国志本編には出てこないんじゃ。魏志『武帝紀』の裴松之注『献帝起居注』によると、官渡後に曹操が献帝に上言した内容が載っているんじゃ。
それによると済陰太守であった袁叙が袁紹に送った書簡に次のように書いてあったんじゃよ。
「今、四海の内は崩壊し、天の意志は実に我が(袁)家の上に向けられており、神の示すしるしもあらわれていますが、それは当然貴兄に対してであります。
南兄(袁術)の臣下が彼を天子の位におつかせしようといたしました時、南兄のいった言葉では、年齢に従えば北兄(袁紹)が上であるし、官位に従えば北兄が重いとのことです。
そこで天子の印璽を送るつもりでおりましたが、たまたま曹操に道を切られてしまいました。」
ふむ、この段階で天子の位を勧めたのだな。
タイミングはあまり良いとは言えないですよね。まだ曹操が健在ですし。だから知謀より政治を少し低くしたのですかね。
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簡単解説
小知恵が回ると言う感じの能力評価なんでしょうか。
恐らくそう言うことであろうな。政治的判断としてはあまり妥当ではなかった。少し軽率であった、と言うことかな。
そうじゃな。とは言え済陰太守としての役割も果たしていることから、そこまで極端に低くはしていないんじゃよ。さて、今回はここまでじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。