さて、今回は関羽の子の関興の紹介じゃな。演義では父譲りの武勇で大活躍しておる関興じゃが、正史においてはだいぶ違う印象を受けると思うんじゃよ。
さて、今回は関興の紹介じゃな関羽の息子で、彼の跡を継いだ人物じゃ。
どうも、張郃だ。関羽の息子と言うことで勇壮な武人のイメージが強いのだろうが、彼は20歳の時に侍中・中監軍に任じられており、どちらかと言えば文治派の人物だな。
中監軍は中央軍の監察官、統括者的なイメージですよね。前線に立つ武人とは違う感じですね。
そうだな、タイプ的には諸葛亮のような、政治家兼司令官的な立場に近いのではないかな。
ワシの思い描く関興像はまさにそのタイプじゃな。若くして亡くなったようなんじゃが、何とも残念な話じゃな。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・政治
関興は蜀志『関羽伝』に付属して載っているんじゃが、それによると関興は幼いころから評判が高く、20歳にして侍中・中監軍となり、諸葛亮も彼の才能を高く評価していた、とあるんじゃよ。
中監軍と言うことから統率を、侍中であることから政治を高く評価した、と言うことだな。侍中は皇帝の傍近くで大きな権力を握っていたことから、彼の政治力の高さがうかがえると言うものだ。
軍事に関しては父の影響を受けた評価になった感じですかね。正史準拠と言いながら、師匠も少し演義に引きずられていますねw
知謀
軍事はまあ、やはり関羽の息子、と言うことで少し高めに見積もってしまった部分があるのは確かじゃな。一方、知謀に関しては特に逸話もないことから、さすがに平均的な評価に留めたんじゃよ。
こうやって見ると軍事・知謀が高かった関羽とは真逆の評価となっているな。関興は関興で、諸葛亮の評価も高かったのだから優れた人物だったのであろうが、父親とこれだけ違うと言うのもなかなか興味深い話だな。
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簡単解説
他の作品も関興の評価はバラバラですねえ。
鄭門三国志が統率が高いという興味深い評価になっているな。
そうだな、演義ベースで作った場合、特に蜀は後期武将がいなくなってしまう。その穴埋めではないのだろうが、関興を軍人として入れたと言うことだろうな。
そうじゃろうな、関興だけでなく張苞も軍人として高い評価となっておるが、彼らがいなければ蜀の武将は人がいない(実際はそんなこともない)ことになってしまうからのう。さて関興についてはこれで終わるとしようかのう。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。