三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸抗(りくこう) 字:幼節(226~274)その5

さて、今回陸抗の紹介、5回目じゃな。今回は3方面の侵攻軍に対してどのように対処していったか、そこを見ていくとしようかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回も西陵の戦いじゃな、そろそろ終わりが見えてきたが、今日だけで終わるかのう

師匠はなかなかの遅筆ですからねえ。

今回の解説もやきもきしている人もいるであろうから、さっさと終わらせた方が良いだろうがな。 

とは言え、三国志後期最大の戦いとも言って良い場面じゃからのう。さて、それでは早速見ていこうかのう。

人物紹介 

西陵の戦い(呉軍の対応)

さて、今回の戦いで陸抗が用意していた手の内を全部見ていくとしよう。地図も合わせて載せておこうかのう

(対羊祜)陸抗は、張咸に命じて江陵の城を固く守らせる一方、公安の督の孫遵には長江の南岸を移動しつつ、羊祜の進出を防ぎ止めさせた。

(対徐胤)水軍督の留慮と鎮西将軍の朱琬とには徐胤の動きを封じさせた。

(対楊肇)自身は三軍を指揮して、西陵包囲の陣地に拠りつつ楊肇と対峙した。(『陸遜伝』)

西陵攻防戦

ちゃんと各方面に軍を派遣させて、対応していたのですね。

西陵は城にこもる歩闡と、楊肇両方の相手をしないといけませんが、ここで当初に陣構築を強行したのが生きてきた、と言うことですね。 

そうだね、兵書では同時に多方面を相手にすることを忌むべき行為とし、逆に相手は積極的に分断させることが大事と説いている。

陸抗は兵法の基礎を忠実に行っている訳だな。

それにしても江陵はあれだけの対処で、問題ないのでしょうか? 

そこは陸抗自身が回答しているな。

西陵の戦い(対羊祜の回答)

部将たちは揃って陸抗に、このまま上流の西陵におるべきでなく、江陵の防禦に向かうべきだ、と進言した。陸抗が言った。

「江陵は、城壁も堅固で兵士も十分におるから、心配する必要はない。

たとえ敵が城を落としたとしても、決して守り切ることはできぬから、損害は大きくない。それに比べ、もし敵が西陵に力を集中してここに拠点を作ったりすれば、南方の山岳地帯の異民族の者たちが皆動揺することになるに違いなく、そうなった場合、処理に苦慮せねばならぬ事柄が数え切れぬほど出てくるのだ。

たとえ江陵を棄てることになっても、私は西陵の防衛にはせ向かうであろう。まして江陵の守りが堅固であれば(西陵に力を集中すべきことは)論を待たない。(『陸遜伝』)

実際、上の呉軍の動きでは羊祜を長江南岸に渡らせないように対応している。そして江陵の守りも堅く簡単には落とせないことまで織り込み済みで、動いている訳だな。

西陵にしても江陵にしても事前にきちんと守りを固めて準備していたからこそ、多少攻められた程度ではびくともしない、と言う絶大の信頼感あってこその戦術なのですね。 

そう、仮に江陵を落とされたとしても、平地で攻められやすく晋領からは遠く孤立してしまう。江陵のすぐ南には呉軍が最大限に力を発揮できる長江もある。

徐胤も足止めを食らい、先に進むことができない。西陵の攻防戦で全てが決まるのだ。

西陵の戦い(対楊肇戦)

さて、この時、実は呉側にはトラブルがあったのじゃよ。

(この対陣中に)将軍の朱喬と営都督の兪賛とが、呉に背いて楊肇の陣営に逃げ込んだ。陸抗が言った。

「兪賛は、古くより軍中の職務を務めており、わが軍の実情をよく知っておる。私は常々異民族の兵士たちが平素十分な訓練を受けておらず、もし敵が包囲陣を攻めてくるとすれば、必ず真っ先にこの部分を突いてくるであろうと心配していた。」

その日の夜の内に異民族の兵士たちを移動させ、その後を代わって古参の武将たちに守らせた。次の日、楊肇は果たして元来異民族の兵士たちが守っていた場所に攻撃をかけてきた。陸抗は他の部署にあった軍もそちらに回るように命じ、楊肇を迎え撃った。矢や石が雨のように降り、楊肇の軍からは死傷者が続々と出た。(『陸遜伝』)

トラブルがあった訳ですが、それを逆に利用して敵を撃退した、と言うことですね。それにしても兪賛たちは本当に裏切ったのでしょうか。 

赤壁の時のように、そう動くように陸抗に言い含められていたのかも、と言うことか。それは分からんが、どちらにしても陸抗は状況を生かすのが抜群にうまい、と言うことだな。

西陵の戦い(終盤戦)

楊肇は対陣が何ヶ月にも及び、呉を攻め降すための方策も尽き果てて、夜陰に紛れて退却を始めた。

陸抗はこれに追撃をかけたいと思ったが、歩闡が力を蓄え、主要な拠点を抑えて呉軍の隙を伺っており、追撃のために割くだけの十分な兵力のないことを慮って、ただ、太鼓を打ち鳴らし兵士たちを勢ぞろいさせて、追撃に出ようとしているかのような様子だけを示した。

楊肇の兵士たちは、これを見て恐慌状態に陥り、皆鎧を脱ぎ捨てわれがちに逃走しだした。陸抗は身軽な兵士たちを出してこれを追跡させ、楊肇は大敗北を喫して、羊祜たちも皆軍をまとめて引き返した。(『陸遜伝』)

これで西陵の戦いは終了ですね。まだ西陵は落ちていませんが、ここはもう問題ないですよね。 

そうだな、結局西陵は陥落し、歩闡の一族とその主だった部将や軍監は処刑された、とのことだな。

戦略・戦術・軍の統率、地の利もあったであろうがこれらすべてを駆使した呉軍の完勝だな。

さて、西陵の戦いはこれで終わりじゃが、陸抗についてはもう一回ぐらい語っていこうかのう。もうちょっとだけ続くんじゃよ。

 

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