三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸抗(りくこう) 字:幼節(226~274)その3

さて、今回陸抗の紹介、3回目じゃな。今回は西陵の戦いの状況についての詳細な説明を行おうと思うんじゃ。地図を用い、それぞれの考えと行動についてまとめていこうとするかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は西陵の戦いの続きじゃな

今回はそれぞれの軍の動きを中心に説明、とのことですがそんなに複雑なのですか。

この時は既に蜀もなく、荊州北部だけでなく、益州方面も晋に抑えられている。つまり複数方面から晋が動いてくる可能性は十分あった訳だ。 

そう、実際そのような動きがあったのも確かじゃ。さて、陸抗はどう動き対応しようとしたのか。まずはそこを見ていこうかのう。

人物紹介 

西陵の戦い(晋軍の動き)

さて、それではこの時、晋軍の動きを図と共に見ていくとしよう。晋は大きく分けて三つの軍がこの時動いているんじゃよ。

晋軍の侵攻ルート

晋の車騎将軍の羊祜が軍を率いて江陵へ向かってきた。(『陸遜伝』)

晋の巴東監軍の徐胤は水軍を率い建平郡に向かい、荊州刺史の楊肇が西陵にやってきた。(『陸遜伝』)

3つの軍がそれぞれ動いたと言うことですか。しかも徐胤と楊肇は西陵に向かってきていますが、一番の強敵と思われる羊祜は陸抗のいない江陵を攻めようとしている。絶体絶命じゃないのですか? 

徐胤と楊肇にしても、それぞれ別方向から進軍してきているからな。まとめて相手と言う訳にもいかぬし、この対応は相当難しいぞ。。

実際この時陸抗はどう動いていたのでしょうか?この時の陸抗の動きが気になります。 

西陵の戦い(陸抗の行動)

(この少し前、陸抗自らも西陵に着くと)各々の陣地をさらに厳重にして歩闡に対する包囲を固めるよう命令を出し、陣地を赤谿(せきけい)から故市まで繋げて、内側では歩闡を封じ込め、外に対しては敵の来襲を防ぎ止めようとした。

陸抗はこの陣地構築を夜を日に次いで急き立てて進めさせ、あたかも敵軍が既に到着しているかのようなありさまで、人々は大いに苦しんだ。(『陸遜伝』)

なるほど、3軍が侵攻していることを考えると、結果として陸抗のこの行動は正しかった、とは思うのですが・・・。 

ふむ、予想はつくが、気になることがある訳だな。

偉そうなことを言うつもりはないのですが、敵が攻めてくるまでにはある程度時間もかかるでしょうし、それまでに西陵を攻め落としてしまえば万事解決ではありませんか? 

なるほど、通常はそう考えてもおかしくはないか。実際呉の諸将も同じことは考えたようだ、が事はそう単純ではないようだ。

西陵の戦い(呉軍諸将の考え)

部将たちは、揃って陸抗を諫めていった。

「今、全軍の機鋒が鈍らぬうちに、速やかに歩闡に攻撃をかければ、晋の救援が来るまでに、必ずや歩闡を落とせましょう。なぜ包囲の陣地ばかりに力を注いで、兵士や民衆の力を疲れさせてしまわれるのでしょう。」(『陸遜伝』)

私の考えが別に偏と言う訳ではない、と言うことですね 

そう、一見すると決して間違ってはいない。だが陸抗の状況判断と対応力はもう一段深い所にあった、と言うことだな。

西陵の戦い(陸抗の考え)

陸抗が応えて言った。

「この城は堅固な地勢を占めておるうえに、食料も十分ある。しかもよく整備された防禦のための設備がそろっておるが、それらは皆私自身がかつて配備したものなのだ。

今皮肉にもこれを攻めることとなったが、即座にこれを落とすことは不可能であり、加えて北方からの救援は必ずやってくる。

救援がやってきた時にその備えがなければ、内外両面から攻撃を受けて困難な事態となるが、それをどのように防ぐつもりなのか。」(『陸遜伝』)

な、なるほど、陸抗自身がかつて配備し防備を固めた城であるからこそ、落とすのが困難であることを理解し、先に防備を固めることを優先した、と言うことだったんですね 

そう言うことだ。まあこれはかつて西陵の地にいた陸抗だからこそ知りえた情報である訳だからな。 

結局、諸将の頼みを受けて一度だけ攻撃を許可したが、当然攻め落とせるはずもなく、これ以降、この陸抗の指示に皆従うようになった、とのことだ。 

何だが、夷陵の戦いの時の陸遜みたいなことをやっているのう。さて、西陵現地においての準備は良いが、まだ江陵攻めの羊祜への対応も考えないといけない。徐胤と楊肇にしても手をこまねいて西陵に呼び込む手前で対応できるならやっておきたいところだからのう。

と言ったところで今日はここまでじゃな。次もまだまだ陸抗の逸話じゃが、良ければご覧くだされ。

 

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