さて、今回陸抗の紹介、4回目じゃな。今回は最大の懸念事項である江陵の防衛についてじゃな。晋でも最高クラスの武将である羊祜の晋軍をいかに防ごうとしたのか。ここからは両者の知略合戦となったようじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回も西陵の戦い、続きを見ていくとしようかのう。
今回は羊祜の動きと、それに陸抗がどう対応したか、が焦点になる訳ですね。
この時、両者の間にはいろいろ丁々発止なやり取りがあった。単純な攻めた・守った、という訳でなかったのは確かだな。
諸葛亮の北伐や夷陵の戦い、赤壁の戦いなどは散々擦られ考察されているが、西陵の戦いは自分が調べた範囲でも考察等が少ない印象じゃな。なればこそ少し詳細に見させてもらうとしようかのう。
人物紹介
西陵の戦い(江陵周辺の状況)
さて、この時の羊祜の思惑についてじゃが、そのためには江陵周辺のもう少し詳細な情報が必要じゃな。
江陵は長江の北岸に位置しており、西に漳河が北から長江へ流れ込んでいるんじゃ。
そして漳河は当陽(かつて長板の戦いのあった辺り)の側も流れておるわけじゃ。
あのう、江陵周辺が青で塗りつぶされていますが、これは何でしょうか?
良い所に気が付いたのう。これこそが陸抗と羊祜との間で繰り広げられた舞台装置なんじゃよ。それでは史書を紐解くとしよう。
元々江陵はその周囲が一面の平地で、四方八方へ道が通じているところから、陸抗は江陵の督の張咸に命令を出し、大きな堰堤を築いて水をせき止め、平野一帯を水浸しにして、敵襲を防止し、離反投降者が出るのを防がせた。(『陸遜伝』)
水をせき止めて、と言うと日本の城の堀のような感じですか?
あの堀をもっと大掛かりにしたものだな。秀吉が高松城攻めを行った際に、高松城が湖の上に浮かぶ孤城になったと言うが、印象としてはそれが近いであろうな。
でもそれですと江陵は孤立して、食料とかも持たなくなるのではありませんか?
それを生かすことができるのが呉の水軍であろう。江陵は長江に面しており、彼らは長江を自在に移動する。物資の運搬はお手の物であろう。
ああ、なるほど。
そして、そこに目を付けたのが羊祜、という訳だ。
西陵の戦い(羊祜の思惑)
羊祜は水がせき止められているのを利用し、船で食料を江陵に運び込もうと企て、(呉を欺くべく)堰堤を切って(水を排除し)、歩兵を通すのだと(逆の)宣伝をした。(『陸遜伝』)
なるほど、堤防を切ると宣伝し、相手がそちらを警戒している間に、逆に江陵周辺にたまっている水を利用して、船で物資を運ぼうとしたのですね。
江陵の西に漳河が流れているのも、もしかすると利用していたのかもしれないな。
途中までは漳河を南下して物資を運び、江陵近くになったら平野周辺を覆っている巨大な水溜まりを利用しようとした、と言うことですか。
そうだ、だがこの羊祜の策は陸抗の洞察により、打ち破られることとなるのだ。
西陵の戦い(陸抗の洞察)
陸抗はこの情報を得ると(羊祜の宣伝は策略であると看破し)、張咸に命じて急いで堰堤を切らせた。部将たちは陸抗の意図が分からず、繰り返し陸抗を諫めてそれを止めさせようとしたが、彼は聞き入れなかった。
羊祜は当陽まで来たところで、堰堤が壊されたと聞き、やむを得ず船は止めて、車で食料を運ぶことにしたが、そのために大きな力を割かねばならないこととなった。(『陸遜伝』)
これで第一ラウンドは陸抗が勝利した、と言う訳ですね。
だが、まだここでは勝負は決してはいない。実際に羊祜は江陵に至っている訳だからな。
とは言え、既にそこも陸抗は対策を講じておったようじゃがな。
さて、次が西陵の戦いの総仕上げじゃな。三方面からの侵攻に対して、完璧な対応を行った陸抗の、華麗な戦いの締め括りじゃよ。
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