三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫壱(そんいつ) 字:不明(?~259)

さて、今回は孫壱の紹介じゃな。彼は孫堅の末弟であった孫静の孫に当たる人物じゃ。彼は庶子で、本来孫静一族の後を継げる立場ではなかったんじゃが、諸々の事情によって後継ぎとなり、そこから彼は波乱の人生を送ることになったんじゃよ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫壱の紹介じゃ。孫静の孫に当たる人物じゃな。

孫壱は庶子と言うことですよね。つまり本来なら嫡子がいた、と言うことですか。

元々は孫承と言う人物が爵位を引き継ぎ後を継いでいたが、彼が亡くなった際に息子がいなかったため、庶弟であった孫壱が後を引き継ぐこととなったのだ。 

が、ここから彼の運命は大きく変わってしまうんじゃな。それではその後の彼に何があったか見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫壱(20歳)  95 45 70 40
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 孫壱(45歳)  128 73 101 68

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率

孫壱に関しては大きく弐つの時代に記録が分かれるんじゃ。まずは諸葛恪が孫峻に誅殺される頃の話じゃな。

孫峻が諸葛恪を誅殺した際、孫壱は全煕や施績と共に、諸葛恪の弟で公安の督であった諸葛融を攻め、諸葛融は自殺をした。

その功により孫壱は鎮南将軍から鎮軍将軍へと昇進し、仮節を授かって夏口の督となった。(『孫静伝』)

諸葛恪の一族誅滅に関わっていたのですね。と言うことは孫峻派だった、と言うことですか。 

いや、一概にそうは言えないのが面白い所だな。そしてここから更に孫壱は大きな運命の波に翻弄されるぞ。 

知謀・政治

(孫綝が孫峻の後を継ぎ、権勢を独占した後)のちに孫綝は滕胤と呂拠とを誅殺したが、呂拠と滕胤は共に孫壱の妹の夫であり、孫壱の弟の孫封も、滕胤と呂拠との企てに関与していたことから、自殺をした。

孫綝は朱異を遣わして、極秘裏に孫壱を襲撃させようとした。朱異が武昌までやってくると、孫壱は彼が自分を攻撃するために来たのだと言うことを覚り、部曲千余人率い、道すがら滕胤の妻の下に立ち寄って一緒に引き連れると、魏へと亡命をした。

魏は孫壱を儀同三司に任じて、呉侯に封じ、廃王曹芳の貴人であった邢氏を妻として与えた。(『孫静伝』)

何と、魏に亡命していたのですか!?それにしても元皇帝の貴人ですから妻の一人だった、と言うことですよね。破格の待遇ではありませんか。 

これだけではないぞ。魏の『高貴郷公伝(曹髦)』によると、この時の詔勅が残っているが、儀同三司と言うのは三公と同等の待遇、天子の着物と冠および赤い靴を与える、とし、更に幕府を開かせることも許可している。 

思ったよりも更に上の待遇だったのですね。幕府を開くことも許可しているのと天子と同じ着物などが与えられると言うのは異例中の異例なのではないですか。 

それだけ、呉の皇族・・いや呉と言う国自体を重視していたことの裏返しかもしれないな。しかし、これで終わらないのが孫壱の人生だ。 

邢氏は容貌は美しかったが嫉妬深く、その下にいる者たちは酷使に耐えず、共謀して孫壱と邢氏を殺した。孫壱は魏に逃げ込んで三年目に死んだのであった。(『孫静伝』)

えええ、ここでまさか、新しく娶った妻が原因で殺害されるなんて・・・。 

これが波乱の人生を送った孫壱の最後だな。魏に逃げても三年しか命を保てなかった辺りに、業の深さを感じさせられるな。 

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 孫壱  60 63 47 33 46

 

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簡単解説

孫壱は孫綝追い落としの策に共謀していたんでしょうか?

まあ妹二人の夫と弟が関わっていたのだから、どちらであったとしても無関係、では通らないだろうな。呉の政争からは逃げ出せたが、それが限界であった、と言うことだな。  

あ、でも今分かりましたけど、政争争いに敗れ、妻のために殺害されたことが統率や政治が低いことに繋がっているのですね。

そう言うことじゃな。まあ彼自身の問題と言うよりは、こうなる運命だったのかもしれんのう。それぐらい無理やりな感じで彼の命運は断たれたように思うんじゃよ。

さて、そんなところで今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは自分も今日は帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。