三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫休(そんきゅう) 字:子烈(235~264)その2

さて、今回は孫休の紹介2回目じゃな。今回は孫休の皇帝になるまでの逸話と、余裕があれば、皇帝になって如何に孫綝を排除したかの部分について焦点を当てたいのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫休について、皇帝になる前後での逸話を見ていこうかのう

頭の良いと言われた孫亮でもなしえなかったことを成し遂げているので、私の中では非常に評価が高いですが、昨日の能力はちょっと意外でした。

まあ、孫休の逸話の多くは孫綝排除の部分に集約されているからな。 

まずは皇帝になる前の逸話、からじゃな。

人物紹介 

朱夫人との別れと再会

孫休が皇帝になる前の逸話と言うと、これが一番じゃな。時は孫登が亡くなり、孫和が皇太子になった時のことじゃ。

孫和が太子であった時、全公主は孫和およびその母の王夫人と仲が悪く、王夫人のことを讒言し、太子を廃して代わりに魯王(孫覇)を太子に立てたいと考えたが、朱公主がそれに同意しなかったため、二人の公主の間に仲違いが生じた。(『孫休朱夫人伝』)

さて、一気に人物の名前が出てきたので、少し整理しようか。

全公主:孫魯班孫権の娘)のこと、孫和及びその母の王夫人と仲が悪く、追い落とそうと画策

朱公主:孫魯育(孫権の娘、全公主の妹)のこと、孫和や孫覇との関係は特に良くも悪くもなく

本来姉妹である二人だが、孫和と孫覇の後継者争いに全公主が絡んできたことから、状況が色々悪くなっていっているのだ。

朱夫人は朱公主の娘になるのですよね。 

そうだ、だから孫休と朱夫人は実はおじと姪の関係、裴松之はこの辺りをだいぶ批判しているようだな。

問題は朱夫人ではなく、朱公主と全公主の関係になってくるのだ。

五鳳年間(254~256年)のこと、孫儀は孫峻の暗殺を謀ったが、ことが発覚して誅殺された。全公主は、この事件にかこつけて朱公主も孫儀の企てに加わっていたと上言し、孫峻は無実であった朱公主を殺害した。(『孫休朱夫人伝』)

いや、もう話を聞いてて吐き気をもよおしましたよ。実の姉妹じゃないですか。なんでそこまでできるんですか。 

全公主は逸話を見る限り、権力志向の非常に強い人物のようだからな。己の権力のためならたとえ姉妹でも切り捨てるのだろう。

それよりも問題は朱公主の娘の朱夫人の方だ。

そうだ、朱夫人も大ピンチじゃないですか、どうなったのですか。 

それでは続きを見ていこう。

孫休は恐れて、朱夫人を建業に帰して(孫峻の下に出頭させようとし)、二人は手を取り合い涙を流して別れた。

建業についてみると、孫峻は朱夫人を孫休の下に帰らせた。(『孫休朱夫人伝』)

これはちょっと孫休なさけなくないですか、自分の妻を何が何でも守る、とはならなかったのですか。 

無理を言うな皇族でも失態があれば、誅殺される時代だ。ましてや妻の母が謀議に加担していたとされれば、何もしなければ間違いなく巻き込まれ、誅殺されるだろう。

むう、それにしても孫峻はすんなり朱夫人を返したものですね。

孫休の素直で反抗的でない性格を見込んで、何かあった時の皇帝候補、と言う風に考えていたのかもしれないな。 

確かにその辺りは考えておったかもしれんのう。

さて、本来は皇帝になってからの逸話も書きたかったんじゃが、思ったよりは長くなったので、今日はここまでとしておこうかのう。

 

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