三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫儀(そんぎ) 字:不明(?~255)

さて、今回紹介する人物は孫儀じゃな。彼は孫皎の息子の一人で孫胤や孫晞の弟にあたる人物じゃ。彼は孫峻(諸葛恪を誅殺し、権力を握って好き勝手振舞っていた)を排除しようとした人物だったんじゃよ。その結末や如何に、早速見ていくとしようかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫儀の紹介じゃな。呉の皇室の一人で孫峻を暗殺しようとした人物じゃ。孫胤、孫晞とは兄弟の関係じゃな。

孫峻は良く名前が挙がっていますが、それほどひどい人物だったのでしょうか。

若い頃はそうでもなかったようだが、諸葛恪を誅殺し、権力を握った辺りから変わったとは言われているな。

記録上では多くの人物を処刑し、また宮女をおもちゃにしていた、と史書にはある。

まあ彼は史書においては悪人側の人物として立伝されているからのう。どこまで本当のことを書いているかは正直分からんのも確かじゃ。

まあ、今回は孫儀についての紹介じゃから、そちらを見ていくとしよう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫儀(20歳)  70 55 85 40
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 孫儀(45歳)  101 84 117 68

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

孫儀については、複数の個所に記録がみられるんじゃが、内容は同一のことを指しているようじゃな。

五鳳二年(255年)の秋七月、将軍の孫儀・張怡・林恂らが孫峻の暗殺を企てたが、発覚した。孫儀は自殺し、林恂らは処刑された。(『孫儀伝』)

五鳳年間の事、孫儀は孫峻を暗殺を謀ったが、ことが発覚して誅殺された。(『孫休朱夫人伝』)

孫儀は孫峻のために非業の死を遂げた。(『孫静伝』)

五鳳二年(255年)、蜀からの使者が公式訪問のために呉にやってくると、将軍の孫儀・張怡・林恂らは、使者との会見の席上で孫峻を誅殺しようと企てた。

その計画が漏れて、孫儀らは自殺し、巻き添えになって死んだ者が数十人、公主の魯育(朱公主)までもがこれに連座した。(『孫峻伝』)

孫峻伝のところが一番詳しいのですね。それにしても朱公主と朱夫人って同一人物・・・じゃあないですよね?

朱夫人は孫休の妻で、朱公主は孫権の娘で、朱夫人の母親に当たる人物だ。母親が無実の罪で孫峻によって処刑され、朱夫人も危うい立場であったが、孫峻の下に出頭すると、そのまま孫休の下に帰された、とのことだ。

朱夫人、危ない立場だったのですね。それにしても孫権の娘でも処刑されるって・・・孫峻の掌握していた権力は凄かったのですね。

  

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簡単解説

師匠的には悪の孫峻を滅ぼす正義の皇族、と言う感じで見ていたのでしょうか。

どうかな、それならもう少し評価しているように思う。所詮宮廷内の権力争い、程度にしかあやつは見ていないように思うな。  

それはまあその通りじゃな。ただ気概のある人物として、記録の少ない中では評価したつもりじゃがな。

さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。