さて、今回紹介する人物は孫奇じゃな。彼は史書を読むだけではほとんどその人物像が掴めんかったんじゃが、Wikipediaを見ると、どうも呉の宗室の一員であったようじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫奇の紹介じゃな。上でも書いている通り詳細は分からんかったが、Wikiの記事を見る限り、呉の宗室の一員であったようじゃな。
具体的にどなたと血の繋がりがあったのですか?
情報を信じるなら、孫輔の孫と言うことになるな、今まで紹介している人物で言うと孫偉が父若しくは族父に当たるようだ。
彼の場合は彼自身と言うよりも、彼の妻の方が有名なのではなかろうか。それでは見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
(孫登が亡くなり、孫和と孫覇が後継者争いを起こすと)全寄・呉安・孫奇・楊竺と言った者たちがひそかにぐるになって孫覇と結託して、太子の地位を危うくしようとのたくらみを行った。
やがて太子に対する讒言が効果を表し、太子はそのために身を滅ぼしたが、孫覇もまた自殺を命ぜられた。
~中略~
孫覇が自殺を命ぜられた後、全寄・呉安・孫奇らも誅殺された。(『孫覇伝』)
二宮の変で誅殺されているのですね。ただ人物像がこれだけではわからないですね。 気になるのでWikiの情報も見せてください。
そうだな、それでは早速見ていこう。
(孫奇は)美貌の持ち主であり、周昭は「まじめな公子、美しく優れているのはもはやとどまらない。」と称賛したと言う。
17歳の時、秀才に推挙された。二宮事件の際には、年齢の近い族父の魯王孫覇を支持した。散騎侍郎・武衛都尉を歴任した。
赤烏十二年(249年)、范慎の娘・范姫を妻として迎えた。
赤烏十三年(250年)、従祖父の孫権は我が子孫覇を自殺させ、それに連座して孫奇をも自害させた。妻との間に子供はなかった。
范姫は自ら耳や鼻を削り、再婚を拒否したと言う。(『Wikipedia』)
あーー、この逸話、聞いたことありますね。
どうも『太平御覧』の注『列女伝』に彼女の逸話は載っているようだな。
意外なルートから孫奇の人物像にもつながった、と言うことですね。
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簡単解説
Wikiの情報を信ずると、結婚してわずか一年で孫奇は誅殺されてしまった、と言うことですね。
孫覇に肩入れをしてしまった理由が知りたいところだが、そこはもう知りようがないな。
孫奇自身は見た目が優れており、カリスマ性に優れていたような感じじゃのう。統率の高さはその辺りから判断した訳じゃな。さて、孫奇の紹介についてはここまでじゃな。
よし、それでは自分も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。