さて、今回紹介する人物は孫誼じゃな。彼は孫河の息子の一人であり、孫桓の兄に当たる人物なんじゃな。孫誼自身ほとんど知名度がないのは、どうも若くして亡くなってしまったことが原因のようじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫誼の紹介じゃな。上でも書いているように、孫河の次男であり、孫桓の兄に当たる人物なんじゃよ。
上の話の通りで行くと孫桓は恐らく三男で、字が「叔武」じゃないですか。
と言うことは例えば次男の孫誼は「仲武」とかになったりはしないのですか?
ふむ、字についてだいぶ理解しているな。確かに字に叔と付くと三男をあらわすことが多く、伯仲叔季幼と言った感じで字が組み込まれる事例はある。
だが、今回は恐らくこれに当たらない。孫桓の弟に孫俊と言う人物がいるが、彼の字は叔英となっている。
「叔」の方が共通文字になっているようじゃからな、変化するのが「武」や「英」の方では、予測が困難なんじゃよ。
さて、それでは孫誼について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
孫誼は孫桓のところ、それも本伝の方には記録が見えないようじゃな。
孫河には四人の息子があった。次男の孫誼は海塩県の長となった。
若くして死去した。(『孫桓伝』裴注『呉書』)
県長にまではなっていましたが、若くして亡くなった、と言うことでそれ以上の実績は出てこない、と言うことですね。
政治が高いのは、県長に任じられたと言う評価を数値に反映させた、と言うことだな。
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簡単解説
今を考えると、この頃は本当に若くして亡くなると言う事例が多くあったのですね。
しかも国境では三国の紛争もあるからな。戦傷などにより傷口が悪化して傷病死する人も多かったであろうし、平均寿命は今よりも圧倒的に低かったであろうな。
それ以外にも中華北部と南部では風土も大きく違い、風土病でやられる人物も多かったであろうからな、難しい時代じゃよ。
さて、そんなところで今回はここまでじゃな。
よし、それでは自分も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。