三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫桓(そんかん) 字:叔武(198~223)

さて、今回紹介する人物は孫桓じゃな。彼は宗室の一員として孫権の期待を受け、それに応える活躍をしておったんじゃが、わずか26歳にして亡くなってしまった。彼の短いながらも輝きを放った人生について、見ていくとしようかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫桓の紹介じゃな。彼もまた宗室の一員として重要な地位にいたんじゃよ。父は孫河じゃな。

孫桓はどこかで名前を見た記憶がありますね。演義に確か出ていたと思うのですが・・・。

正解だ、夷陵の戦い劉備の侵攻を防ぐ将の一人として出ている。まあ演義での扱いはあまり良いとは言えなかったがな。

そうじゃな、配下の将達が張苞関興に討ち破られると言う、どちらかと言えばやられやくの立場であったからのう。

じゃが史書は当然そんなわけではない。早速孫桓について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫桓(20歳)  105 115 95 70
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓ ↓↓ ↓↓
 孫桓(45歳)  139 150 128 101

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率

さて、孫桓は立伝されていることから、彼の伝を中心に記録を見ていくとしよう。

(孫桓が)年二十五の時、安東中郎将の蜀を授けられ、陸遜と共に劉備の侵入の防禦に当たった。(『孫静伝』)

孫桓は別行動を取り、夷道において劉備の先鋒を討ち取ろうとしたが、かえって劉備の包囲を受け、陸遜に救援を求めてきた。

陸遜が言った。「まだ救援に赴く時ではない。」

部将たちが言った。「孫安東どのはあなたの御一族であります。その方が包囲を受けて苦しんでおられるのに、何故救援をされぬのですか。」

陸遜が言った。「安東どのは兵士たちの心を掴んでおられ、城の防禦は固く食料も十分にあるから心配は全くない。私がいま進めている計略が実行に移されれば、わざわざ安東どのの救援に向かわずとも、安東どのが自ら囲みを破って出てこられるであろう。」

その計略が総力を挙げて実行に移されると、劉備は果たして潰走した。

孫桓は後に会って言った。「先ほどは実は救援に来てくれぬのを怨んでおったのだが、思いがけぬも今になって、あなたのそうした処置にはちゃんとした見通しがあったのだと分かった。」(『陸遜伝』)

あら、陸遜伝ではあまり良いことが書かれていませんね。 

そうでもないぞ、孫桓が包囲された期間はそれなりの期間だったと思われる。下手をすれば数か月間、孫桓は城を死守続けていたのだ。

また、兵士たちの心を良く掴んでいた、とも書かれている。この辺りが孫桓の統率の高さに繋がっているのかもしれないな。

劉備の軍勢は圧倒的な勢いを示し、山に満ち谷をうずめたのであるが、孫桓は武器を振るい命を惜しまず、陸遜と力を一つに合わせて戦ったので、劉備は敗走することとなった。孫桓は夔城に通じる道を断ち、その道の要所要所を閉鎖した。

劉備は山中をたどり、険害を乗り越えてやっとのことで脱出すると、憤り嘆息して言った。「おれが昔京城に行った時には、孫桓はまだ小児であったのに、今私をこんなにまで追い詰めよった。」(『孫桓伝』)

劉備の深いため息が聞こえてきそうですね。 

劉備ももうこの時は60を超えた歳だからな。陸遜より、昔会った時にはまだ子供だった孫桓にやられたことの方が、もしかしたら深く心に傷を負ったのかもしれないな。

知謀・政治

孫桓は風貌が端正で、有能で聡明な頭脳を備え、博学で多くのことを識っていて、人との議論や応対に巧みであった。

孫権は常々彼のことを皇族内の顔淵(孔子の一番の弟子)だと称し、武衛都尉に抜擢した。関羽を華容に討伐した際の作戦に参加し、関羽の余党を説得して五千人を呉に帰順させ、牛や馬や軍事機械などをおびただしく手に入れた。(『孫桓伝』裴注『呉書』)

関羽の余党も降伏させたり、博学だったりで、昨日の孫奐と比較してもそん色ないどころか、上な部分もありますね。 

孫権自身の期待も相当あったようだからな。それだけにわずか26歳で亡くなったのは残念と言わざるを得ないな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 孫桓  81 73 72 68 78

 

 

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簡単解説

孫奐と比べると三国志14の評価も結構高いですね。

逆に孫奐が低すぎるのが個人的には不満だがな。まあ文句を言ってもせんないことだがな。  

それにしても、魏の皇族ほど目立つ存在ではないが、ここにきて孫一族も底力を見せてきた、と言う印象じゃのう。さて、そんなところで孫桓の紹介も以上で終わりじゃな。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。