さて、今回は王脩の紹介、三回目じゃな。
今回から曹操以降の話、それと細かなエピソードがあればその辺り、そして能力評価と行こうかの。
さて、今回は王脩の三回目じゃな。今回から曹操時代の話じゃ。
曹操時代はほとんど聞いたことがないですね。
ワシもだいぶ忘れているぞい、それでは早速説明と行こうかの。
よろしくお願いします。
人物紹介
管統再び
さて、今回は曹操が袁譚を破った後の話じゃ。袁譚が破れると州の諸城全ては曹操に降伏するんじゃな。
じゃがここで一人袁譚のために服従しなかった人物がおるんじゃ。
そう、前回妻子を犠牲にしながら袁譚の下に駆け付けた管統じゃ。彼は楽安に立てこもり、曹操の命令に服従しなかったんじゃな。
そこで曹操は王脩に管統の首を取ってくるよう、命じるんじゃよ。じゃが王脩は当然管統の忠心を知っておる訳じゃから、彼を斬るのは惜しい、と思ってしまうんじゃな。
そこで彼は管統の縛めをとき、曹操の下に出頭させるんじゃ。
曹操も彼と会って、その見事な忠誠心に感心し、上機嫌で管統を赦免するんじゃよ。
曹操、王脩、管統いずれも見事な人物達と言えるじゃろう。
王脩の財産
さて、曹操は鄴を落とし、審配らの財産を記録して没収したんじゃ。審配に代表されるように袁紹に仕えておった官吏達は、その権威を盾に、非常に多くの蓄財をしておったようじゃな。いつの時代もやる人はやってると言うことじゃな。
じゃが王脩の家を調べると、穀物は十石に満たず、代わりに書物は数百巻あったそうじゃ。曹操も「士はみだりに名声があるのではない(そこにはちゃんとした根拠がある)。」と感歎するんじゃよ。
そこで彼を召し出して司空の掾とし、四金中郎将を代行させ、その後魏郡太守に昇進させるんじゃ。
魏郡太守としては強者を抑え弱者を助け、賞罰をはっきりさせた行政であったことから、郡民からの評判は高く、非常にたたえられたと言うんじゃ。
大司農・郎中令として
さて、後に王脩は大司農・郎中令となるんじゃよ。郎中令は別名で光禄勲とも言うんじゃ。実はこの二つとも九卿であって、今で言うなら王脩は大臣を兼務しておるような状態だったんじゃよ。
大司農は農政、財務を担当し、郎中令は宮殿脇の門(掖門)の宿営を任務としておったんじゃ。
この時期肉刑を復活させるべきかの議論を曹操は行うんじゃ。肉刑は文字通り肉体の一部を切断する刑じゃな。当時は死刑と微罪との間を埋める刑が存在せず、わずかな罪でも死刑になることが多かったんじゃな。
じゃが王脩は天下がまだ定まっていない時期に肉刑を復活させるのは敵(呉蜀)に付け入るスキを与えることになると、現時点ではまだ施行するべきではないと反対するんじゃな。
曹操もこの意見に従ったようじゃ。そして王脩はその後、奉常(太常)に転じるんじゃな。太常は儀礼・祭祀の統括を担当する役職で、もちろんこれも九卿の一つなんじゃな。
厳才の反乱
さて、この頃厳才と言う人物が反乱を起こし、仲間数十人と掖門を攻撃したことがあったんじゃ。王脩は変事を聞くと車馬を呼び寄せたが、待ちきれずに配下の役人を引き連れ、徒歩で宮殿までやってくるんじゃ。
曹操は銅雀台から望見して「あれにやってくるは王叔治に違いない。」と言うんじゃ。
一方の鍾繇は王脩に向かって言うんじゃ。「しきたりでは宮城に変事があれば、九卿はそれぞれの役所にいることになっているはず。」
じゃが王脩は切り替えして言うんじゃ。
「禄を食みながら、どうしてその危難を捨てておけましょう。役所にいるのがしきたりではありますが、危難に駆け付ける道義に外れております。」
やはり王脩は義の人と言えるじゃろうな。しきたりは大事じゃが、道義に外れてしまうようでは意味がない。
曹操もそれが分っておったから、やってきたのが王脩だとすぐに分かったんじゃろうな。
じゃが、王脩はやがて病気にかかり、在職中に亡くなった、とあるんじゃ。まことに残念な話じゃな。
小話
さて、最後にちょっとした小話じゃが、王脩は人を見る目もあったようで、まだ二十歳前後の自分の高柔の才能を認め、王基を童児の内から高く評価した、とあるんじゃ。
いずれも後に魏の後を継ぐ晋で高位に就き、大いに活躍する人物じゃな。三国志13、14辺りをやっておる人達なら、三国時代後期に出てくる彼らを使ったこともあるんではなかろうかの。
さて、そんなところで人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行こうかの。王脩は全作品に出ておるぞい。
能力評価
王脩はやはり太守として、そして魏王朝の下で九卿としての活躍を見せたことより、政治がやはり高くなるじゃろうな。また公沙盧を迷わず斬った時のように、個人としての武勇も見せており、軍事も高めじゃ。彼がおったからこそ、孔融は一定期間青州を支配できたと言えよう。
また袁譚に対しても正論を示し、鍾繇の意見に対しても彼なりの考えをきちんと意見として述べるなど、単純な頭のよさも持ち合わせており、知謀も評価できる人物じゃ。大軍の指揮や軍事面での大戦果がないことから、統率こそ少し抑え目じゃが、オールマイティにもなんでも任せられる、孔融陣営において非常に重要な人物だったと言えるじゃろうな。
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雑談ぢゃ
さて、王脩の能力評価じゃ。
師匠の評価ですと軍事が高いですね。文官らしくないw
まあ公沙盧斬りと言う実績もあるでのう。こう言うことをやった人物は軍事を高くしておるんじゃよ。曹操とかも反乱した兵数十人を斬っておったりするからのう。軍事の高い人物は皆大抵この手のエピソードを持っておるんじゃよ。
そう言えば張郃も親衛隊を率いて、少数の兵で劉備の万の軍を撃退したんですね。
そうじゃな、さすがにあそこまではいかんが、王脩の手腕も十分評価できるじゃろう。
鄭問さんはちょっと低すぎる気がしますが、他は基本的に文官としての評価になっていますね。
他の作品では王脩の評価はやや抑えめじゃが、それでもこの辺りの中堅ともいえる人物は大事じゃからの。人材はいればいるだけ良いんじゃ。もっともワシの評価は最早中堅の域を超えておるような気がするがのw
魏には他にも彼クラスの人材が多数いるんですよね、早く見てみたいです。それで、これで王脩の紹介は終わりですか。
うむ、まだしばらくは孔融陣営の人物の紹介じゃがな。孔融陣営は武張った人物は少ないが、結構粒ぞろいなんじゃよ、楽しみに待っておれ。
分かりました、次もよろしくお願いします。あ、それと人物索引も載せておきますね。気になる方がいたら下から引っ張ってくると良いですよ。