三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

王脩(おうしゅう) 字:叔治(?~?)その2

さて、今回は王脩二回目じゃな。

今回からは孔融以降の話になるので、少々記憶が薄れておるかもしれんが、袁譚のところでもちらりと書いていた、と思うぞい。ワシもうろ覚えじゃから、改めて紹介するとしようかのう。

  

さて、今回は王脩の二回目じゃな。今回から袁譚に仕えた時の話じゃ。

孔融の時の実績はある程度見ていますが、袁譚の話はほとんど覚えていないですね。

うむ、それでは袁譚のところから語るとしようかの。

よろしくお願いします。

人物紹介

袁譚の招聘

孔融青州から去ることになったのは袁紹陣営の圧のためじゃな。孔融は去り、袁紹の息子の袁譚によって青州は支配されるようになったんじゃ。すると袁譚は王脩を召し出して侍中従事に任命したんじゃ。

この時、別駕の劉献は王脩を嫌っていたのか、彼を度々けなし、欠点をあげつらったそうじゃ。あまり感心はしない態度じゃな。

因果応報か、その後劉献はある事件で死刑に該当する、となってしまったんじゃ。じゃが王脩は裁判に当たって、彼を助けてやった、と言うんじゃ。

当時の人々は彼の裁き、そして彼の立派さに感心したんじゃよ。

袁紹も一度王脩を召し寄せたことがあるそうじゃが、結局また袁譚の下に戻り、別駕となったそうじゃな。

その後、官渡を経て袁紹が亡くなると、袁譚袁尚の関係が悪くなったのは袁譚のところで語った通りじゃな。

お助け管統

これにより袁譚袁尚と争うが破れるんじゃな。そこで王脩は役人、住民を引き連れて袁譚救助に赴いたんじゃ、袁譚はたいそう喜んだそうじゃな。

じゃが、青州全体で見ると劉詢と言う人物が反旗を翻して兵を挙げ、それに諸城は全て呼応したんじゃよ。これには袁譚も大分参ったようで、「今、州を挙げて裏切り背いているのは、わしの不徳のせいだろうか。」と嘆息して言ったんじゃよ。

これに対し王脩は以下のように言ったんじゃ。

「東萊の太守管統は海沿いの地におりますけれども、この人は背きません。きっと来るでしょう。」

十日余り後、管統は果たして妻子をおいて袁譚のもとにかけつけたそうじゃ。じゃが妻子は反乱軍によって殺害されてしまったそうじゃな。哀しい話じゃ。

この忠義にむくいるため、袁譚は改めて管統を楽安の太守に任じたんじゃよ。

袁尚との争い

袁譚はその後も袁尚を攻撃しようとするんじゃが、王脩はこれを諫めるんじゃ。

「兄弟なのにこれを攻撃し合うのは、それこそ滅亡の道です。」更に袁尚攻撃をあきらめきれない袁譚に対し王脩は言うんじゃ。

「そもそも兄弟と言うのは左右の手です。たとえてみると、人が戦おうとするその時にその右の手を斬りとって『わしは必ず勝つぞ』と申しておるようなもの。このようなことは可能でしょうか。

そもそも兄弟を見捨てて親密になさらないで、天下の人々の誰が一体親愛の情をもってくれましょうぞ。たまたま讒言する者がいて、無理に二人の間で戦いを交えさせ、それによってその場限りの利益を求めようとしているのです。

どうか賢明な知事には耳を塞いでお聞き入れなさらぬように。

もし佞臣数人を斬り、再び兄弟が親しみむつみあって、四方を防御なされば、思いのまま天下を闊歩できましょう。」

じゃが袁譚は結局聞き入れんかったんじゃな。結局袁尚と攻撃し合い、情勢が不利になった袁譚曹操に救援を求めるんじゃ。

袁譚の死

曹操冀州を奪った時、袁譚曹操に背いて勝手に袁尚の領地を奪い取ったんじゃよ。これを受けて曹操は南皮にいた袁譚の軍を攻撃したんじゃ。

王脩はその時兵糧を輸送して楽安にいたんじゃが、袁譚の危機と聞き、配下の兵と従事たち数十人を引き連れ、袁譚の下に駆け付けようとしたんじゃ。

じゃが高密までたどり着いたところで袁譚の死を聞くんじゃ。王脩は馬を降り号泣して言ったんじゃよ。

「主君がおられなくなった、どこを頼っていけば良いのか。」

そして王脩は袁譚の遺骸を追って、曹操の下に到るんじゃな。この時王脩は袁譚の遺体を引き取って埋葬したいと願い出るんじゃよ。

曹操の目の前で、敵の遺体を引き取る、などと言うのは通常ありえん話じゃ。

この時『傅子』によると、曹操袁譚を誅殺した後、その首を獄門にかけ、命令したんじゃよ。「敢えて彼を哭する者は、妻子に及ぶまで死刑とする。」

それにも関わらず王脩は遺体を引き取って哭礼しようとしておったんじゃ。曹操も王脩と言う人物を見極めようと、黙ったまま返答しなかったんじゃ。すると王脩は更に以下のように言うんじゃな。

「袁氏の厚き御恩を受けておりました。もし譚の遺体を収容できましたならば、その後に死刑に処せられても、悔恨することはありません。」

関羽同様、こういう義心を見せる人物は曹操大好物じゃからな。この王脩の願いを聞き入れ、当然彼を処刑することもなく、その後王脩を兵糧監督に任命するんじゃよ。

さて、ここからいよいよ曹操配下になるんじゃ、と言ったところで、今回はここまでじゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、今回は袁譚時代の王脩のエピソードじゃな。

袁譚袁尚の仲って色んな人が諫めているのに、どうして頑なに聞き入れなかったんでしょうねえ。

そうじゃな、まあ袁紹時代からあった派閥争いを、解消できんかったのが大きかったんではなかろうか。

それにしても王脩は自ら命も顧みず、果断に動きますね。この行動力は凄くないですか?

そうじゃな、こういう人物が多数いることが魏の強さの秘訣じゃからな。

仕方ないとは言え、演義でこういう人物が取り上げられないのはもったいないですねえ。

まあ、主役を張るタイプではないから、仕方ない話じゃな。さて、今回はここまでじゃな。次は曹操時代のエピソード及びそれ以外の細かな話、そして能力評価と行くぞい。

分かりました、次もよろしくお願いします。それと人物索引も載せておきますね。

 

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