三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

万潜(ばんせん) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは万潜じゃな。

字や生没年は不明じゃが210年代に亡くなったのではないか、と思われるんじゃよ。

元々劉岱配下だったんじゃが、その後も彼の名前はちょくちょく出てくるんじゃよ。

 

さて、今回は万潜じゃな。彼もまたマイナーな人物じゃのう。

彼も一度どこかで出てませんでした?

お、よう覚えておるの。それでは早速紹介するとしようかの。

人物紹介

州吏兗州の万潜

さて、万潜じゃが、彼は最初武帝紀に名前が出てくるんじゃよ。丁度劉岱が鮑信の助言を聞かずに青州黄巾賊を攻撃して殺害された時じゃ。前回万潜の名前が出てきたのは鮑信のところじゃな。 

kumajisan.hatenablog.com

 

さて、劉岱が殺害された、と言うことで鮑信は州吏の万潜と共に東郡に赴き、曹操兗州の牧を引き受けさせたとあるんじゃ。

州吏とは州に仕える官吏じゃから、万潜は地元兗州の出身者なのかもしれんのう。

こうして州の主は劉岱から曹操に代わるんじゃが、おそらく万潜はそのまま曹操に仕えることになるんじゃな。恐らく呂布等との戦いの時も曹操側に付いておったと思うんじゃよ。

曹操の魏公就任

次に万潜の名前が出てくるのは曹操が魏公に就任する時じゃ。213年に献帝御史大夫の郗慮に節を持たせ、曹操を魏公に任命する辞令書を渡したんじゃ。しかしまあ慣例通り曹操は前後三度に渡り辞退したんじゃよ。

この時荀攸等が辞令を受諾することを勧めるんじゃが、その面子の中に万潜の名前も入っておるんじゃな。

この時の役職は長史じゃな。各曹の事務を統括する役目じゃな。例えば丞相府の留府長史は丞相の曹操が遠征に出ている間、留守を預かる役割なんじゃよ。

長史にもいろんな曹があるため、実際に万潜がどの役割を担っていたかは分からんが、魏公就任を勧めるメンバ―に名を連ねていることから、それなりに重要なポジションだったと考えられるのう。

曹丕の魏王就任

さて、次に万潜の名前が出てくるのは曹丕曹操の後を継いで魏王になった(まだ皇帝にはなっていない)時期じゃな。この時に幾つかの布令が出ておるんじゃ。そのうちの一つは以下のように記されておるんじゃな。

「元尚書僕射の毛玠、奉常の王脩・涼茂、郎中令の袁渙、小府の謝奐・万潜、中尉の徐奕・国淵らは、皆、忠直の士として朝廷におり、仁愛と道義を旨としていたが、いずれも早くに世を去った。しかも子孫は衰微しており、惻々として哀れを覚える。彼らの男子をすべて郎中とせよ。」

何人か見知った名前の人物もおると思うんじゃが、結構な名前と共に万潜も名前を連ねておるんじゃな。

小府は九卿の一つであり、宮中の衣食財政を担当するんじゃよ。恐らく曹操が魏公に就任し、組織が整理された時に任じられたんではなかろうか。

ただ220年の布令で既に亡くなっていることが判明しているので、213年以降数年の内に亡くなったと言うことなんじゃろうな。

さて、目立つ実績はないが最後には九卿にまで登り、またそうそうたる面子と共に曹丕に称賛されておる。なかなかの人物じゃったと言えるのではなかろうか。

さて、万潜の紹介はここまでじゃな、続いて能力評価じゃ。今回はワシのみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 万潜(20歳)  35 20 85 80
 ↓ ↓ ↓ 
 万潜(45歳)  62 46 117 112

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さて、万潜じゃが劉岱の州吏だった頃から、基本的には文官としての役割に徹しておったようじゃな。最後は九卿の小府にまで任じられており、また曹丕からも高い評価を受けていた訳じゃ。ワシの中でも、結構高評価じゃな。

しかし目立つ実績がないので多少抑え目とさせてもらったぞい。とは言え彼も本来なら立伝されてもおかしくない人物だったかもしれんのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、万潜の能力評価じゃな。彼も実績はないが、范方とは違う意味で重要な人物じゃったと言えるじゃろうな。

後に曹魏でも重きをなした、と言えそうですね。

そうじゃな、それだけに他の作品で出ておらんのはちと残念じゃのう。天舞さん辺りは出してそうかな、と思ったんじゃがな。

そう言えば、荀攸はわかりますが、曹丕が挙げた人物たちも皆優秀だったんですか?

うむ、ほとんどが立伝されておる、魏の礎となったような名臣が並んでおるんじゃ。ざっくりとしたイメージじゃが、蜀で言う孫乾や伊籍、簡雍等と同等以上の評価を受けておる人物達と言ったらエエかのう。そんな人物たちと並んで語られるだけでも十分凄いということは伝わるじゃろうか。

少し分かります。立伝されていないのが惜しいですね。何故立伝されなかったのでしょうか?

そこまでは分らんが、一つは早くして亡くなったこと、そして曹丕の布令にあるように後の世代が続かんかったこと等も関係あるんじゃろうな。曹操創業時から支えた重要な人物じゃと思うが、まあ残念な話じゃな。

逆に言うとそれでも目立つ実績は残せなかった、と言う可能性はありませんか?

まあ、その可能性も皆無ではないと思うが、実力主義曹魏で九卿まで上った以上、やはり実力はあったと見るべきじゃろうな。さて、今回はここまでじゃな。これで劉岱陣営の紹介は終わりじゃな。

劉岱陣営のまとめ紹介は行いますか?

いや、続いて張邈陣営の紹介までやってしまおうかのう。最後に兗州までの勢力図を示していこうかの。万潜はマイナーな中でも実は魏において重要な役割を担っておったと思うんじゃ。こういう人物もおった、と思ってくれると嬉しいぞい。

次も見てくださいね、それではまたです。