さて、今回は是儀との紹介二回目じゃな。
ここから孫権が皇帝になって以降の話になるんじゃな。じゃが、徐々に孫権の闇が見えてくるんじゃよ。
さて、今回は是儀の紹介、二回目じゃな。
それにしてもこれだけの人がマイナー扱いなのは少しもったいないですね。
そう言えば、三国志14の評価はどんなものじゃったかのう。覚えておらんとは、エラそうなこと言いながら、ワシもまだまだじゃなあ。
ともあれ、紹介の続きをお願いしますね。
うむ、それでは早速行くとしようかの。
人物紹介
呂壱の誣告
さて、武昌におった頃太子の孫登は是儀に敬意を払い、また是儀も太子の補佐を命じられ、その役割を果たしておったんじゃ。
しばらくして太子に従って建業に戻り、また元の役職を務めるようになったんじゃ。
その頃問題の呂壱事件が起きるんじゃ。彼は苛烈な性格で些細な罪でも、上奏して弾劾する酷吏だったんじゃな。
中には無実の罪でもされたものがおったかもしれん。今回はそんな話じゃな。
さて、呂壱じゃが、もとの江夏太守の刁嘉が国政を誹謗している、との誣告を行ったんじゃ。それを聞いた孫権は腹を立て、すぐに刁嘉を獄に繋ぎ、全ての者に事実を問いただしたんじゃ。
孫権の御前におった者は呂壱を恐れて、皆誹謗の言葉を聞いたことがあると言ったが、是儀のみ聞いていない、と答えたんじゃ。
そのために是儀は連日窮問を受け、孫権の追及はいよいよ厳しくなって、群臣達は彼の生命を案じて息をひそめるんじゃよ。
それでも是儀は己の意思を曲げず、答えて言うんじゃ。
「ただいま斬刑の刑具は既に私の首に当たっておるのでございます。そうした中、どうして刁嘉のために事実を隠して、自ら一家皆殺しの刑を招き、不忠の死をとげたりしよう等といたすことがありましょう。
考えてみまするに、もし聞き知っておるのであれば、それを知るに至った経緯があるはずでございます。」
彼は事実に拠りつつ責問に答え、供述を変えることがなかったんじゃ。これにより孫権は是儀を許し、刁嘉も罪を免れるんじゃな。
蜀への使者
諸葛亮が亡くなると、孫権は両国の友好の関係を固めるために、是儀を使者として蜀に送り込むんじゃ。そして是儀はその役目を見事にこなした、と言うことなんじゃよ。
後に孫和と孫覇が近接した位置に宮が設けられると、当時孫覇の後見役をやっておったのにも関わらず、孫覇は外に出して国家防衛の要として孫覇を外地にだして、国家防衛の盾となってもらい、皇太子との差をきちんとつけるべき、と何度も上訴するんじゃな。権力争いしておる連中をよそに是儀はぶれない、と言えるのう。
さて、そんな是儀じゃが、基本家の経営には心を傾けず、こじんまりとした家があるのみだったんじゃ。ある時隣の家が大きな屋敷を立てたんじゃよ。孫権はその屋敷を宮殿から見て、誰の屋敷か尋ねると、側近の一人が是儀の家と思われる、と答えるんじゃ。
じゃが孫権は「是儀は贅沢を好まぬ故、きっとそうではあるまい。」と違うことを予見するんじゃな。
孫権もあまりに是儀が質素に暮らしておるので、粗末なご飯を持ってこさせて、自らもそれを味わうと嘆息して、俸禄や下賜品を増額させようとするんじゃ。
じゃが是儀はこう言った特別の御恩を受けるのはかえって心苦しい、と言って断るんじゃよ。
是儀の姿勢
さて、そんな是儀じゃが、孫権は唯一不満じゃったのが、時事問題に意見を述べず、事の可否について態度をはっきりさせない点だったんじゃ。
じゃがこの辺りも是儀は己の分をわきまえ、己の狭い視野からの意見で孫権を混乱させないように、と言う配慮だったようじゃな。
大きな国家大計を示したり、目立つような施策を行った訳ではないが、国家の職務に当たること数十年、一度も過ちを犯さなかった、と言うことじゃ。
これは例えば呂壱が将軍、宰相、重臣を次々と弾劾すっる上奏を行っていたにも関わらず、終に是儀だけは一度も上言されるような、きっかけがなかったことからも明らかじゃな。
孫権は「もし人々が皆是儀のようであれば、刑法など無用なものとなるのであるが。」と讃嘆して言ったんじゃ。
そして、そんな是儀も病にかかり、これが重くなると遺言を残すんじゃ。是儀らしく白木の棺に平服のまま入棺し、葬儀はなるべく倹約するように、是儀らしい遺言じゃな。
そして是儀は亡くなるんじゃ、年81歳とあるから、充分長寿だったと言えるじゃろうな。
さて、これで是儀の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価じゃ。
今回はワシ意外じゃと三国志14のみに出ておるようじゃ。天舞には出ておらんのじゃな、ちと意外じゃな。
能力評価
是儀は関羽や曹休討伐のための謀議に参画し、また皇族たちの学問の師となったり、蜀に対する使者を行う等、外交官としても優れた実績を残しておることから、ワシの中では知謀が一番高い評価となるんじゃよ。
また職務を忠実に実行して失策がなかったことから、目立たんが政治も高い評価としておるんじゃ。その一方で校尉や裨将軍、偏将軍になったりしているが、軍事面での実績がほとんどなく、本人も軍事は苦手と言っておることから、そちらは抑え目とさせてもらったぞい。
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雑談ぢゃ
さて、是儀の能力評価じゃ。
師匠の方がやや知謀高めですが、コーエーテクモさんと結構似たような評価なんじゃないでしょうか。
ちと違う部分もあるが、似た感じの評価になってるとちとほっとするのう。。
それにしても立伝までされている人物が出てないのはちょっと寂しい話ですね。
そうじゃな、とは言え呉の人物で演義でほとんど出番がなければ仕方ないのかもしれんのう。
三国志14は最近の作品だけあって、こう言う武将も取り上げているんですね。
そうじゃな。実際史書を読み解くと、彼も非常に優れた人物と言うことが分かるからのう。こういう人物がもっともっと評価されるようになっていくと良いのう。
是儀の紹介はこれで終わりですね。次はまた別の人物の紹介ですね。
うむ、次も確か孔融陣営から孫呉に行く人物だったと思うぞい。次はどんな人物じゃろうかのう。
よければ次もよろしくお願いします。人物索引も載せておきますね。気になる方がいたらご覧ください。