さて、今回紹介するのは韓浩じゃな。
字は元嗣、生年は不明じゃが、没年は恐らく217年から220年の間じゃと思うぞい。彼は魏軍でも非常に重要な役割を担っておったんじゃよ。
そんな彼がここで出てくるとは、何とも奇妙な話じゃな。
さて、今回紹介するのは韓浩じゃな。彼は魏軍の中でも非常に重要な人物じゃったんじゃが、立伝されておらん。
逆に言うと韓浩のような人物でも立伝されないぐらい魏は陣容が厚いと言うことですね、あれ、でも確か韓浩って・・・?
気が付いたか。演義では韓浩はただのやられ役としての役目しか与えられておらんからのう。じゃがそれが彼の本質ではない、と言うことじゃな。
演義で人物像をゆがめられてしまった人物ですか。それじゃ史書の方の韓浩の紹介をお願いします。
そうじゃな、それでは早速人物紹介と行こうかの。
人物紹介
若き日の韓浩
裴注の『魏書』によると、韓浩は河内の出身で、彼の県は山林地帯に近接しておったため、山賊が横行しておったんじゃ。そこで韓浩は徒党を集めて県の護衛に当たっておったんじゃよ。以下の記述は全て裴注の『魏書』によるものなんじゃ。
若い頃から優れた指揮能力を見せ、郡県を山賊から守っておったんじゃ。見事じゃのう。
そこで太守の王匡は彼を従事に任命し、軍兵を引き連れ、孟津へ向かわせ、董卓と対戦させたんじゃ。董卓も韓浩の名声は知っておったらしく、河陰の令であった韓浩の舅の杜陽を捕え、これをだしにして韓浩を配下に招こうとしたんじゃが、韓浩は言うことを聞かなかったんじゃな。
この辺り、韓浩の剛直さが良く出ておるのう。それにしてもこう言うところ董卓は強引と言うか力業過ぎるのう。もったいない話じゃ。
袁術の引き立て
さて、この韓浩の態度を立派だと認めた人物がおったんじゃ。誰あろう袁術じゃな。
彼は韓浩のこの行いを立派だと考え、騎都尉に任命するんじゃ。
最初は王匡かもしれんが董卓の乱の時に彼を引き立てたのは袁術じゃった、と言うことじゃな。じゃがその後の袁術との関係性が見えてこんのう。
夏侯惇との会合
さて、その後韓浩の名声を聞いた夏侯惇は会見を要請し、大いに彼を評価し、兵を統率させて征伐のお供をさせておったんじゃ。
そんな中で起こったのが呂布による兗州騒乱と、それに続く夏侯惇捕縛事件じゃな。
夏侯惇捕縛と韓浩の見事な対応は以下に載せておるぞい。
韓浩は法順守のために涙を流して夏侯惇に別れを告げ、夏侯惇を人質に取っておった者達に撃ちかからせるんじゃ。賊達は恐れ慌てて頭を地面に叩きつけて謝るが、当然許されるはずもなく、全て斬り捨てられるんじゃ。
曹操の称賛
「君のこのやり方は万世の法律としてよかろう。」
そこで法令に記し、今後人質を取るものがいた場合には、全て(人質となった者も人質を取った者も)両方とも撃て、人質のことを考慮してはならぬ、と明記させたんじゃよ。
現代の日本でこんなことやったら、色んな批判に包まれそうじゃのう 。
じゃが結果として人質を取って脅迫する者は後を絶った、と言うんじゃ。
人道的に本人の責任でなく、人質にされるケースも存在するから、こう言うのは難しい話じゃがの。ただ、どっちつかずと言うのだけはいかんじゃろうな。
曹操への提言
さて、直接的に曹操に仕えるようになってからじゃが、ここで韓浩は重要な提言をするんじゃ。当時、政治の利害について大いに議論させたことがあったが、ここで韓浩は屯田を急いで行うべきだと提案するんじゃな。
曹操は韓浩のこの意見を喜び、彼のことを高く評価し、護軍に昇進させたんじゃ。護軍は武官の選抜を行っておったようで、恐らく武官の監督役や中軍の指揮も担っておったようじゃな。
河北遠征
袁家残党及び異民族を討伐するために柳城を討伐しようとした時、同僚であった領軍の史渙は敵地深く潜入することは、万全の計画ではないと考え、韓浩と協力して諫めたいと考えるんじゃ。じゃが韓浩は次のように答えるんじゃ。
「今軍事力は強大で、武威は四海をおおっている、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取り、思い通りにならないものはない。
この機会に天下の患いを除去しなければ、後々の憂いになるだろう。
おまけに曹公は神の如き武勇をお持ちで、行動を起こされる時、あらゆる考慮を巡らされる。
私とあなたは中軍の指導者なのだから、ここで兵隊達の気勢を挫くべきではないぞ。」
遠征は成功し、韓浩と史渙は護軍、領軍から中護軍、中領軍と官号を改められ、配下に長史・司馬を設置され、権限が拡大されたんじゃよ。
ここで出てくる史渙じゃが、若い頃は任侠の徒で男らしい性格、彼もまたなかなか優秀な人物だったんじゃよ。彼はまたその内紹介することもあるじゃろうな。
張魯遠征
曹操が張魯遠征に赴く時もそのお供をしたんじゃ。張魯は降伏し、漢中の統治を誰に任せるか、と言う議論になるんじゃ。
この時論者達は韓浩の知略は辺境地帯を安んじるに充分である故、後に残して諸軍の総司令官に任じてもらいたいと主張するんじゃが、曹操がこれに反対するんじゃ。
「わしにどうして護軍(韓浩)がないわけにいこうぞ。」
もしかしたら身内の夏侯淵を引き立てたかったのかもしれんが、韓浩自身の中軍の指揮能力が非常に高かった、と言う風に言えるんではなかろうか。
こうして韓浩は曹操と一緒に帰還するんじゃ。それぐらい韓浩は曹操から信任されておったんじゃよ。
漢中都督となった韓浩の指揮ぶりも少し見てみたかったのう。
そして漢中遠征から少しして韓浩は亡くなってしまったようじゃな。曹操もその死を悼み残念がった、とあるんじゃよ。
さて、これで韓浩の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回の韓浩については 全ての作品に出ておるのう。
能力評価
韓浩は曹操軍の中軍と言う軍の中核を指揮する役割を担っており、曹操からの信頼が絶大だったことから統率が高めじゃ。
また屯田を提言する、諸将から漢中の統治を任せたいと言われる等、政治能力も評価されており、ワシも統率に次ぐ評価としたんじゃ。他全ての能力が水準以上に高く、間違いなく袁術軍でエースとなれる逸材じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、韓浩の能力評価じゃな。彼は鄭問さん以外の作品でもなかなかの評価じゃな。
恐らくそうじゃろうな。演義じゃと韓玄の弟としてやられるだけの存在じゃからな。
演義とは大分人物像が違う訳ですね。
この辺りは演義の罪の部分じゃろうのう。本来であれば非常に評価されるべき人物を、とてつもなく矮小化させてしまっておる。
『魏書』の記述を見る限りでは立伝されていないのが不思議なぐらい、優秀そうですからね。
曹操や諸葛亮、周瑜等優秀な人物ばかり持ち上げるのでなく、こう言う人物にももっとスポットが当たるようになるといいんじゃがのう。
それでもコーエーテクモさんとかで評価がだいぶ高くなっているように随分改善されていますね。
そうじゃな。この流れでもっと評価が改善されていくと良いのう。さて、それでは今回はここまでじゃな。
紹介ありがとうございました。次もまたよろしくお願いします。他に気になる人物がいましたら下から探してみてくださいね。