さて、今回紹介するのは李業じゃな。字や生没年は不明じゃ。
彼についても目に付く実績は少なそうじゃが、どんなもんか、見ていくとしようかのう。
さて、今回紹介するのは李業じゃ。彼の名前は、さすがに聞いたことはないじゃろうな。
演義では聞いたことないですね。
正史でも記述されているところはごく僅かのようじゃし、演義にも出ておらんようじゃからのう。
袁術陣営でよくあるパターンですね。
うむ、それでは早速見ていくとしようかの。
人物紹介
さて、今回紹介する李業じゃが、出番は一ヶ所だけのようじゃな。
魏志『何夔伝』によると袁術が寿春に進出すると、丁度淮南に避難しておった何夔を召し出そうとしたんじゃな。何夔は応じなかったが、袁術に引き留められたんじゃな。
その後しばらくして袁術は橋蕤と協力して蘄陽(きよう)を攻撃包囲するんじゃ。じゃが蘄陽は曹操に味方して、守り抜くんじゃな。
らちがあかないと判断した袁術は何夔がその郡の人であることから、脅迫して蘄陽を説得させようと思ったんじゃ。
じゃが、この記述はおかしいんじゃよ。何夔は陳国の陽夏県の出身じゃ。一方蘄陽は沛国に属しており、陳国とは結構離れており、かすりもしておらんのじゃ。下に地図を載せるので確認してくれると良いぞい。
これで同郡と言うには少し無理があるが、恐らく同じ州内と言うことで、地元の人間の何夔に説得してもらおうと言う意図だったのかのう。この辺りの表現は結構適当じゃな。
これに対し何夔は謀臣の李業に向かって言うんじゃ。
「昔(春秋時代)、柳下恵は国を討つ計画を聞いて憂色を示して『国を討つことは仁者に相談しないものだと私は聞いておりますのに(この国を討つという)言葉がどうして私のところに届いたのでしょう。』と申したとか。」
そして彼は灊山(せんざん)に逃れ、隠れた、とあるんじゃな。
ここでもまた灊山(せんざん)が出てきておるのう。どうやらこの辺りの一大拠点だったようじゃの。それと自分を仁者となぞらえる何夔の我誉めの性格も結構面白いが、袁術配下の李業とそう言う会話ができる関係、と言うのもなかなか新鮮じゃな。
さて、恐らく李業からこの話を聞いた袁術は結局蘄陽を説得することをあきらめたようじゃな。そして李業の名前もこれで出てこなくなるんじゃ。結局袁術の謀臣であった、と言うことぐらいしか分らんかったのう。
さて、そんなところで能力評価へと行こうかの。今回は・・・まあワシしかおらんじゃろうな。
能力評価
李業は袁術配下の謀臣と言うことから知謀が高めじゃな。また魏で立伝されておる何夔が彼には心を許して本音を語っておることから、話せばわかる人物だったのではないか、とも思うんじゃな。
知謀以外はどれも抑え目じゃが、この辺りの人間関係から実績がない割には通常よりも少し知謀を高めとしておいたぞい。
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雑談ぢゃ
さて、李業の能力評価じゃな。
師匠、分っちゃいましたよ。
うん、なんのことじゃ?
先日楊弘の能力評価で師匠は政治を高くして知謀抑えめだったじゃないですか。それは李業が控えていたからなんですね。
うむ、そう言うことじゃな。向こうが事務型と言うか能吏代表のような立場で、こちらの李業は謀臣代表と言う扱いじゃな。
どちらも閻象や徐璆、韓浩とかが上にいるのが少し悲しいところですけどね。
まあ、そこはさすがに実績によって差はついてしまうからのう。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまた見てくだされ。
もう少し袁術陣営の紹介は続きます。次も良ければご覧ください。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引から見ていってくださいね。それではまたです。