さて、賈詡の紹介、3回目じゃな。いよいよ曹操時代に突入じゃな。彼の記事は書いていて面白い内容が多いから楽しいんじゃよ。
さて、賈詡の紹介も三回目じゃな。張繍配下となって賈詡の本領が発揮されてきておるのう。
どうも、張郃だ。確かに張繍殿の下にいて曹操殿を追い詰めていた頃が一番切れていた時期だったかもしれんのう。
それでありながら、あっさり曹操さんの配下になっちゃっていますからね。
その辺りの身の処し方は一級品じゃのう、さて、それでは早速行くぞい。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
曹操を追い詰めた賈詡の知謀
曹操が南征し、淯水に布陣した時、張繍が降伏してきたんじゃ。じゃがその際に曹操は張繍の叔父張済の妻を側妾としたため、張繍は怨恨を抱いたんじゃ。曹操は張繍が不快がっていることを知ると、ひそかに張繍殺害の計画を立てたが、計画が事前に漏れたため、張繍は曹操を急襲したんじゃ。
これには異説もあって、『傅子』には張繍が親近していた者の内、胡車児と言う者がおり、その武勇は張繍軍第一だったんじゃ。曹操は彼の武勇を愛して手ずから黄金を与えたんじゃよ。
張繍はその話を聞いて、曹操が側近の者を使って自身を刺殺させようとしているのではないかと疑い、そのため謀反をした、と言うんじゃ。
案外こちらの方が真実かもしれんのう。と言うのも次の内容を見ると、張繍を殺害しようとしていたにしては、曹操は暢気すぎるんじゃよ。
『呉書』によると、張繡は降伏すると賈詡の計略を採用し、軍隊を移動させ大道へ向かいたいから、曹操の陣営の中を通過させてほしいと願い出たんじゃ。張繍はまた「車が少ないのに輜重が重いので、どうか兵士たちにめいめい鎧を着せることをお許しください。」
と願い出て、曹操は張繡を信用してすべて許諾した、とあるんじゃ。そして張繍は曹操を急襲し、曹操は敗北を喫したんじゃよ。
確かに殺害を計画している相手の軍に対する態度としては曹操殿は迂闊すぎるな。恐らくだが、張繍殿が曹操殿を警戒して勝手に謀反したような感じだったのではないか。
ともあれ、この戦いで曹操は息子と弟の子(正史本文は二人の息子が戦死と書いてあるが恐らく誤記じゃな。)、そして典韋を失うんじゃよ。
官渡の戦い、曹操への降伏
このように曹操にとって仇敵のようになった張繍(と賈詡)だが、転機が訪れるんじゃ。官渡の戦いじゃな。
この時、袁紹にとっては曹操の背後を脅かす存在、曹操にとっては後方の安定をもたらす存在として、張繍は大きな期待を一身に受けることとなったんじゃ。
まず袁紹が使者を差し遣わして張繍を招き、合わせて賈詡に手紙を与えて味方に引き入れようとしたんじゃ。張繍が承知しようとしたところ、賈詡の出ている会合の席上で、公然と袁紹の使者に対して言い放つんじゃ。
「帰って袁本初に断ってください。兄弟さえ受け入れられることのできないもの(袁紹と袁術のこと)が、どうして天下の国士を受け入れましょうぞ、とね。」
張繍は驚き恐れて「何でそこまではっきり言うのか。」と言い、「こうなったからには誰に付けばよいのか?」とも尋ねるんじゃ。
これに対する賈詡の答えは一つ、
「曹公に従うのが一番です。」
じゃが当然張繍は納得しない。
「袁氏は強く曹氏は弱い上に、曹氏は仇敵の間柄にある。彼に従うのはどんなものだろう?」
この問いに賈詡は次のように答えるんじゃな。
「それこそが曹氏に従うべき理由なのです。そもそも曹公は天子を奉じて天下に号令しております。俺が従うべき第一の理由です。
袁紹は強大でありますから、我が方が少数の軍勢を連れて従ったとしても、我らを尊重しないに違いありません。一方曹公の方は勢弱小ですから、我らを味方に津得れば喜ぶに相違ありません。これが従うべき第二の理由です。
そもそも天下支配の志を持つものは、当然個人的な恨みを忘れ、徳義を四海の外まで輝かせようとするものです。これが第三の理由です。
どうか将軍にはためらわれることのありませんように。」
張繍はこの意見に従い、軍兵を引き連れ曹操の下に帰順したのじゃ。曹操はもちろんこれを喜んで受け入れたが、喜びながら賈詡の手を握って言ったんじゃ。
「わしに天下の人々の信頼と尊重を与えてくれるのは君だ。」
さて、ここからはようやっと曹操陣営での活躍じゃな。案外長いもんじゃな。
参司空軍事の賈詡
この時賈詡は冀州の牧に栄転するんじゃが、当時はまだ冀州は取れていなかったので、側に置いて参司空軍事としたんじゃ。
官渡にて袁紹の包囲を受け、曹操軍の兵糧が底をついた時、曹操はいかなる計略をとったら良いかと賈詡に質問をしたんじゃ。賈詡は
「公は聡明さにおいて袁紹に勝ち、勇敢さにおいて袁紹に勝ち、人の使い方において袁紹に勝ち、機を逃さず決断する点において袁紹に勝っておられます。
この四つの勝ちをお持ちになりながら、半年かかって片付けられないのはひとえに万全を期されるためであります。必ず機を逃さず決断を下されたら、片付けることができましょう。」
そして許攸が降伏してきて、烏巣の情報を得る、と言う「機」を曹操は確実につかみ、自ら奇襲部隊を率いて全力で烏巣をたたくという「決断」で以て袁紹軍を壊滅させるんじゃ。
・・・少し苦い記憶だな。あの時せめて自分を烏巣の救援に回してくれれば・・・いや、それでも間に合わんか。それにその場合は曹操軍に降ることすらできんかったかもしれんな。
そう言えば張郃殿にとってはあまり良い記憶ではなかったですの。実際あの時はどんな雰囲気だったんじゃろうか。
そうだな、沮授殿と俺は曹操軍の動きをある程度掴み、沮授殿は淳于瓊殿の下へ兵と将を送るべきと進言し、自身も烏巣急襲の情報から、全力で救いに向かうべき、と進言した。
しかし彼等はそれまである程度の成功体験があったために、それなりにやれば何とかなるだろう、と机上の空論をもてあそんで、真の危機的状況を見抜けなかった。袁紹殿は名君であったが、その部分の嗅覚が決定的に欠けていたのだ。
まあ、人は過去に大きな成功体験や奇跡的なことを成し遂げてしまうと、二匹目のドジョウを狙ってしまうようなところがあるからのう。少し、地に足がついていなかったのかもしれんのう。
それにしても賈詡は発言の記録が多い。書き出すのは辛くも楽しくもある、と言う感じじゃな。さて、今回はここまでじゃな。次辺りで終わると良いのう。
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