三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

賈詡(かく) 字:文和(147~223)その2

さて、今回紹介するのは賈詡の紹介、2回目じゃな。今日はどこまで行けるかのう。しかし索引を見ると賈詡が載っている個所は案外少ないんじゃのう。

 

さて、賈詡の紹介、2回目じゃな。うまく行けば3回目で終われそうじゃな。

どうも、張郃だ。李傕より少ないとはちょっと予想外だな。  

は、裴松之さんが敢えてボリュームを絞っていたとかw。

ほっほっほ、さすがにそんなことは・・・・あり得るかもしれんのう。 

まあ裴松之の若造の言うことは話半分ぐらいで聞いておけば良い。分かる人は賈文和殿の凄さは分かるはず。 

そうじゃな、それでは早速行くぞい

よろしくお願いします。

人物紹介

段煨に身を寄せる賈詡

さて、賈詡献帝長安から脱出すると、自身も官を辞し、段煨の下に身を寄せるんじゃ。いきなり出てきた段煨じゃが、彼もまた賈詡と同郷の豪族で当時華陰に駐屯しておったんじゃ。

そして恐らくじゃが、かつて賈詡が氐族に対して、自分は段公の外孫、と騙った段熲と同族だったと思われるんじゃ。それと言うのも『三国志全人名事典』を見ると、段熲は字を「紀明」と言い、段煨の方はWikiを見てみると字を「忠明」と言うようなんじゃ。偶然と言う可能性も皆無ではないが、字の一文字が同じ「明」であることから同族、下手したら兄弟の可能性もあるかもしれんのう。

この時代は一族の繋がりが重要であったから、兄弟親せきと言えど、外部からは同じ一族、と言うぐらいにしか分からん部分もあるからな。有名なところでは諸葛兄弟もそうだな。  

諸葛瑾諸葛亮のことですな。確かにあそこは少なくとも母親は違うようじゃしな。 

まあ、それだけではないんだがな。まあその辺りは追々彼らの紹介の時に説明しようか。まずは賈詡と段煨じゃ。  

 

ギクシャクする賈詡と段煨

さて、段煨の下に身を寄せると、賈詡はさすがにこの時期名を知られた人物であったから、段煨軍の期待の的になったんじゃな。

段煨はそんな賈詡を立てて、十全の礼を以て待遇したんじゃが、賈詡は相手が何を考えているかを読み取る術に非常に長けておる。段煨は内心では賈詡に権力を奪われることを畏れながら、賈詡を養っておったんじゃ。

これは段煨を狭量と非難することはできんのう。逆に言うとそれぐらい賈詡の名声が高かった、と言うことじゃろうからな。  

たとえて言うなら後継者争いをした曹丕殿と曹植殿が後継争い後、曹丕殿が普通に曹植殿を側近として使えるか、と言うような話だからな。名声が高く才能も間違いなくある人物に対し無警戒の方がおかしいだろう。  

張繍が張済の後を継いで、南陽にいた時、賈詡は密かに張繍と手を結んだんじゃよ。張繍が迎えを寄こし、賈詡が出発しようとした時、ある人が賈詡に向かい問うたんじゃ。

「段煨はあなたを手厚く待遇していますのに、どうして立ち去られるのです。」

それに対して賈詡は以下のように答えるんじゃ。 

「段煨は私に対して警戒心を抱いています。礼は手厚いとは言っても、この先長く頼りにすることはできず、将来命を狙われることになるでしょう。

私が立ち去れば喜ぶに違いありませんし、また私が外部において強力な支援者と結びつくことを期待し、必ず私の家族を大事にしてくれるでしょう。張繡の方も参謀がいないから、私を手に入れたいと願っています。

ですから家族も私自身も共に安全を保てるに違いありません。」

かくして賈詡が赴いたところ、張繡は子孫の礼をとって彼を遇し、段煨は予想通り賈詡の家族の面倒をよく見たんじゃ。 

仮に段煨の警戒が賈文和殿の過剰反応だったとしても、結果として全て彼の言ったとおりに丸く収まっているのだ、何とも見事ではないか。  

ここからは曹操との絡みが増えてくる、今までも十分凄かったが、いよいよ本領発揮、じゃな。

劉表との同盟

さて、賈詡が張繡の下にきてまず勧めたのは劉表との同盟なんじゃ。じゃが元々張繍南陽では劉表と結んでおったはずなんじゃ。これについては興味深い話があるんじゃ。

『傅子』によると賈詡は一度南方に赴き、劉表と会見しているんじゃ。劉表は賓客の礼を以て、彼をもてなしたんじゃ。劉表の人物像を賈詡は以下のように分析するんじゃ。 

劉表は平和な時代なら三公にもなれる人物だが、事態の変化を見抜くことができず、猜疑心が強くて決断力がないから、何ごとも成し遂げられないであろう。

さすがに良く人物を見てきている、と言えるじゃろうな。しかし劉表のように平和な時代であれば、と言う人物はこの時代たくさんいたことじゃろうな。

曹操との戦い

この頃、曹操と関係が悪化しており、曹操は張繡征伐を行ってきていたんじゃが、ある日突然軍を撤退させ、張繍は自らこれを追撃したんじゃ。じゃが賈詡張繍に進言したんじゃ。

「追撃してはいけません。追撃すれば負けるに決まっています。」

じゃが張繍は聞き入れず、軍を進めて交戦し、大敗北を喫して立ち戻ったんじゃ。すると賈詡張繍

「急いでもう一度追撃しなさい。もう一度戦えば必ず勝ちます。

と言ったんじゃ。張繍は断って言うんじゃ。

「君の意見を採用しなかったために、こんなはめに陥った。今敗北した後、どうしてもう一度追撃するのだ。」

賈詡

「戦いの状況には変化があるもの。急いで出かければ勝利間違いないでしょう。

と改めて追撃を主張するんじゃ。半信半疑ながらも兵卒をかき集めて追撃に出、大いに戦った末、思った通り勝利を得て立ち戻ったんじゃ。そして当初の疑問を賈詡にぶつけるんじゃ。

「わしは精鋭を引き連れ撤退する敵軍を追撃したのに、君は必ず敗北すると予言した。逃げ帰った後、敗軍を引き連れ勝ち誇る敵軍を襲撃したのに、君は必ず勝てると予言した。

何もかも君の予言通りになったが、どうして常識に反しながらどちらも実現したのか?」

賈詡は応えて言うんじゃ。

「これは分かり易いことです。将軍(張繍)は戦争が上手ですが曹公には敵いません。敵軍は撤退し始めたとは言うものの、必ずや曹公自らしんがりとなって追撃を断つに違いありません。

追撃の兵が精鋭であっても、大将が敵わぬ上に敵の兵士もまた精鋭なのです。だから敗北間違いなしと予言したのです。

その一方で曹公は策戦の間違いがあったわけではなく、力を出し尽くさない内に撤退したのですから、国内に何か事件が起こったに違いありません。

将軍(張繍)を打ち破った後は軍兵に軽装させ、全速で進むに相違なく、たとえ諸将をしんがりに残し、その将軍が勇猛であったとしてもあなたには敵いません。だから敗残の兵を使って戦ったとしても勝利間違いなしと思ったのです。」 

当初の状況だけでなく、状況の変化を素早く読み取り、その変化に対応する。それこそ兵法の神髄ではないか。仲達めに爪のアカでも飲ませてやりたいところだな。  

そう言えば231年の蜀軍の北伐の時、張郃殿は司馬懿の追撃戦に反対していたんじゃったかのう。

ふん、この張繍殿の時と同じよ。敗走している訳でもない敵の退却に、のこのこ追撃するなぞ愚の骨頂。相手の状況、思惑も計らずに追いかけて仲達の石頭め、何とするか・・・と、愚痴になってしまったな。賈詡殿の紹介はまだ途上だったな。    

そうですな、とは言えだいぶ文字数が来ているので、今回はここまでじゃな。いよいよ次は曹操殿の下での活躍になるじゃろう。次も良ければご覧くだされ。 

 

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