三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹均(そうきん) 字:不明(?~219)

さて、今回は曹均の紹介じゃな。彼は曹操の弟と思われる曹彬と言う人物の後を継いでおるんじゃよ。それでは彼について見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は当然忘れている)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹均の紹介じゃな。曹操の息子の一人なんじゃが、曹操の弟と思われる曹彬の養子となった人物じゃな。

どうも張郃だ。曹彬殿も曹丞相の弟に当たる人物らしいが、こちらも記憶がないな。 

曹均の方は何か記録があるのでしょうか。

大したことではないが少しだけ逸話はあるようじゃな。それでは曹均について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹均(20歳)  60 45 30 50
 ↓ ↓ ↓ 
 曹均(45歳)  90 73 57 79

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志『樊安公均伝』には次のように書かれているんじゃよ。

樊の安公曹均は、叔父の葪(けい)の恭公曹彬の後を継いだ。建安二十二年(217年)、樊公に取り立てられた。二十四年(219年)逝去し、子の曹抗が後を継いだ

それともう一つ、魏志張繍伝』を見ると、次のように書かれているんじゃ。

太祖(曹操)が官渡で袁紹と対峙していた時、張繡は賈詡の計に従って、再び軍勢を引き連れて降伏した。

~中略~

張繍が到着すると、太祖はその手を取って喜び、歓迎の宴会を催し、張繍の娘を子の曹均の嫁にした。

叔父と言うことは、曹丞相の弟に当たる訳だな。張繍殿の娘を娶っていることから、軍事よりの人物と言うことで、軍事を高めにしているのだな。 

それと気になるのは曹均の年齢ですね。200年頃に嫁を貰っていると言うことは、もしかして曹丕より年上なのかもですね。 

 

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簡単解説

実際曹丕とどちらが年上なのでしょうか。

残念ながら記憶にはないな。文帝は187年だから、この時点でまだ13になるかならないか、か。そう考えると曹均の方が年上だったかもしれないな。

曹操の後継者候補とはなっていなかったのですかね。

曹昂がおり、更に曹丕曹植もいると言う状況であったことから、早いうちに曹均を曹彬の養子にしていたのかもしれんのう。さて、短いが今回はここまでじゃな。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。