さて、今回紹介する人物は閔貢じゃな。字や生没年は不明じゃ。彼はある一つの出来事により名を残したと言えるじゃろうな。
さて、今回は閔貢の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。閔貢は通常であれば一官吏として、大きく名を残すこともなく一生を終えた人物であろうな。
あれ、でもそう言えば閔貢さんは演義でも出ていたような気がしますね。
うむ、閔貢の出番は演義においても非常に重要な個所だからのう。さすがに演義でも彼の名前を削ることはできんかったのであろう。
ここで名前が出てくると言うことは董卓の乱辺りの話ですよね、でもどこかは思い出せませんね。
それでは彼について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて閔貢についてじゃが、正史によると一ヶ所のみの出番じゃな。『董卓伝』にて中常侍(宦官)の段珪らが少帝を奪って小平津に逃亡したが、宦官達は絶望して黄河に身を投げて自殺したんじゃ。この時に閔貢は恐らく逃げる宦官を数人斬り殺したようじゃな。
裴松之注釈『英雄記』によると、この時河南中部掾の閔貢が少帝と陳留王(後の献帝)を雒舎まで至り休息したんじゃ。
河南中部掾は河南中部の県の監察官と言ったところじゃな。
その後、少帝は一頭の馬に単独で乗り、陳留王と閔貢は相乗りして雒舎から南へ向かったんじゃ。
そして北ボウ阪の下で公卿百官に迎えられ、元大尉の崔烈の先導によって御所へ帰還することとなったんじゃ。この功績により郎中に進み、都亭侯に封じられたんじゃよ。
皇帝御一行を救い出した一事で歴史に名を残した人物だな。
そうじゃな、さて、これにて閔貢の紹介は終わりじゃな。続けて能力評価に行くぞい。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
閔貢は河南の監察官としてだけの役割であれば、後世に名を残すことはなかったやもしれんが、宦官を追討し、皇帝の身を保護したことにより軍事能力を高めとしたんじゃよ。
ただそれ以外には実績も見られないことから、全体的には抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、閔貢の能力評価じゃな。
軍事が高いのは宦官どもを斬り殺していることからだな。
これぐらいの官職の人で歴史に名を残すって言うのはなかなかないでしょうね。
そうじゃな。そう言う意味では少し軍事とかを盛りすぎておるやもしれん。
まあ活躍もしておるし、これぐらいはあっても別に問題ないのではなかろうか。
まあ実際の武将の能力も、名もなき配下達の能力の組み合わせじゃからな。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。