さて、今回から新しい武将の紹介じゃな。今回紹介する人物は呉匡じゃな。字や生没年は不明じゃが、彼は陳留郡の出身で、元からの董卓配下ではないんじゃ。
さて、今回呉匡と言う人物の紹介じゃな。あまり知っている人はおらんかもしれんのう。
どうも、張郃だ。呉匡殿か、三国志演義に出てくるある人物とのかかわりが深い人物だな。
張郃さんは彼のことを見知っているのですか?
直接はもちろん会ったこともないが、関わりの深い人物の情報は仕入れていたからな。
そうじゃな、聞けばちょっと意外に思うかもしれんのう。それでは早速行くぞい。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、呉匡じゃが、彼は陳留郡の出身で、元々は何進配下の将じゃったんじゃ。何進は宦官の横暴を抑えようと誅滅計画を袁紹らと練るんじゃが、その計画が漏れ、逆に何進の方が暗殺されてしまうんじゃ。
じゃが、何故この情報が宦官に漏れたのか。実は何進には妹の何皇后以外にもう一人弟の何苗と言う人物もいたんじゃ。何苗と何皇后は同母兄妹なんじゃが、何進は異母兄弟になるんじゃな。
この辺りが関係したのか、何進と何苗・何皇后の間には宦官に対する意識のずれがあったんじゃな。弟と妹の二人は宦官に対して兄程拒絶反応は示さず、逆に彼らに対して協力的なんじゃ。
呉匡は何苗が何進と心を一つにしないのを恨んでおったようなんじゃな。
しかも、親宦官派として、結託しているのではないか、と言う疑いを持っておったんじゃ。そこにきての何進暗殺事件が起きたじゃろう。
呉匡殿としてはこれはもう何苗が情報を漏らしたことで、何進が暗殺されたようにしか思えんかったのだろうな。
そこで呉匡は軍中に布令を出したんじゃ。
そうやって兵を率いて董卓の弟董旻と共に攻撃し、朱爵門の下で何苗を殺害したんじゃ。
この時点で呉匡は董卓配下となっておった、と言う感じかのう。
ちなみにこの呉匡じゃが、『季漢輔臣賛』によると、後に益州で劉備配下の将軍となる呉班の父親でもあるんじゃよ。
どう言う経緯で益州に流れたのか、どこに縁があるか分からんもんじゃな。さて、これにて呉匡の人物紹介は終わりじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回はコーエーテクモさんに出ておるぞい。
能力評価
呉匡は何進が亡くなった後、軍をまとめて迷わず何苗を攻撃し、殺害していることから、軍事は高めの評価じゃな。
じゃが本当に何苗が情報漏洩の要因だったのか把握しないまま殺害したのはちといただけんかったかもしれん。何より大将軍何進、車騎将軍何苗と立て続けにいなくなったことで、洛陽の中央軍は董卓に握られることになってしまったからのう。
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雑談ぢゃ
さて、呉匡の能力評価じゃな。
ふむ、武官としてそれなりの評価だな。三国志14も似たような評価になるかな。
ちょっと気になったのですが、もしかして何苗殺害は董卓が仕向けた可能性はないですか?
可能性は十分あるじゃろう。元々洛陽に入城した時点では董卓もそれほど軍を率いておらんかった。彼は丁原も殺害して呂布と共にその軍を吸収しておる。同じことをやった可能性は十分考えられるのう。
董卓はそう言った策は結構よく使うからな。なかなかに厄介な人物だ。
まあ、明確には書かれておらんから、あくまでも可能性の話じゃがな。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。