三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

呂布(りょふ) 字:奉先(?~198)その4

さて、呂布の紹介その4じゃが、どうやら関東の方で地震があったようじゃのう。みんな大丈夫かのう。気を付けてくだされ。

 

さて、呂布の紹介4回目じゃな。

どうも、張郃だ。日本は地震が多いな。少し腰が定まらん感じがするな。 

あら、張郃さんにも意外な弱点が???

中原はめったに揺れることがなかったであろうからのう。

そう言えば今回は呂布の4回目ですが、呂布にそんな意外な側面があるのですか?

ふむ、そうか・・・。演義など小説や遊戯の呂布の能力を知っていると、確かに意外と思うかもしれんな。 

そうじゃな、それでは見ていくとしようかのう。

人物紹介

呂布の最初の役職

さて、呂布丁原に仕える際に就いた役職じゃが、主簿なんじゃな。

主簿の役割を知っている人にしてみたら、えっ、あの呂布が主簿なの?と思うかもしれん。既に過去何度か主簿については説明しておると思うが、改めて簡単な説明を入れるとしようかのう。

主簿と言うと後漢時代では、文書・帳簿・印鑑管理を司り、文書作成を職務としていたんじゃよ。言うならば文官じゃな。

上司の丁原は読み書きもかなり怪しかったらしいから、呂布もいい加減な役職に就けたのではないか、と言う意見もたまに聞くが、逆に読み書きが怪しいからこそ、読み書きできる呂布を重宝した、と考えられんかな。 

確かにそう考えた方が自然かもしれんのう。

呂布の知略

さて、次は呂布の知略についてちと見ていこうかのう。

『英雄記』によると呂布袁紹のところで張燕を破り、功績があると自負しており、袁紹配下の諸将を見くびって尊大に構え、関東諸侯は勝手に役職を付けられたのだから尊重するまでもないと考えておったんじゃ。

呂布袁紹に洛陽に戻りたいと願い出た時、袁紹呂布司隷校尉の官位に就け、表向きは呂布を洛陽へ行かせることになったと公表しつつ、内心では呂布を殺害しようと考えておったんじゃ。

明日出発と言う日、袁紹呂布を見送ると言う名目で、武装兵三十人を派遣したんじゃ。怪しい雰囲気を察した呂布は彼らを帳の外側に止めおき、帳の中で鼓や琴を演奏させておったんじゃ。

まだ寝る気配がないと言うことで、先に袁紹の兵士達が休みについて間もなく、呂布は帳から出て立ち去ったんじゃが、これに兵士たちは気が付かんかったんじゃよ。

そして先に休んだ兵士達は夜中に起きて呂布の寝台にかけてあった布団を滅多切りにするんじゃが、呂布は既に逃げており、次の日袁紹が事情を問いただして城門を閉めるも、そこからも呂布は既に逃げ去った後だったんじゃ。

呂布の危機察知能力はたいしたもんじゃな。そして逃げ方も鮮やかなもんじゃ。

また張楊の下に身を寄せた時、李傕等が呂布の首に賞金を懸ける情報が回り、再び身に危険が及ぶんじゃが、うまく張楊を丸め込んで、かくまってもらうんじゃよ。

呂布のヤツは口もうまい、頭の回転が速い、利に敏いからこそ逆に軽く裏切ってしまうのだろう。そこは儒教の観点から見れば論外と言わざるを得んがな。

そうじゃな、じゃがだからこそあれだけ自由に暴れることができた、とも言えるかもしれんのう。さて、次は更に呂布の意外な側面を追っていくとしようかのう。

呂布の筆マメ伝説(曹操編)

史書を追っていくと呂布の残した書簡が結構多いんじゃよ。冒頭で主簿になったのも納得と言えるぐらい筆マメだったようなんじゃ。いくつかここで内容を見ていくとしようかのう

まず、これは内容が残っておらんが丁度劉備袁術が戦っておって、呂布が徐州に入った時期だったので、恐らく劉備の後輩を攻めて徐州を攻める算段のやり取りだったと思うんじゃ。

実際、この時の袁術の返書には劉備を攻めてくれることに対する感謝と、それに対して兵糧を送る旨を書き綴っておるんじゃよ。

また、天子が河東におった時、手筆の文書を呂布に送り、迎えに来るよう召し寄せたことがあったんじゃ。丁度この時呂布の軍は蓄えがなく軍を動かせんかったんじゃが、ここでも使者を派遣して上書しておるんじゃ。

更にその後、曹操も書簡を送り、呂布をねんごろに慰労し、天子を迎えて天下平定に当たるとと言う意向を述べ、公孫瓚袁術等の首に懸賞金がかけられている旨を伝えるんじゃ。

呂布は大いに喜び、再び使者を遣わして天子へ上書するんじゃ。

「私は本来、天子のみくるまをお迎えすべきでありましたが、曹操が忠孝の心を抱き、陛下をお迎えして許に安んじまいらせたことが分かりました。

私は先に曹操と交戦したことがあります。ただいま曹操は陛下の補佐役であり、私は地方の大将でございます。軍兵を引き連れお側へ参りたいと思いましても、おそらく疑いをもたれるでありましょう。

徐州でご処罰をお待ちいる次第で、どのような行動をとれば良いのか、落ち着かないでおります。」

また曹操に対しても返書を送るんじゃな。

「私は罪を犯した人間であり、真っ先に処刑されるのが分相応でありますのに、手ずから手紙をお書きくださり、労をねぎらわれ、厚くおほめをいただきました。さらに袁術等の逮捕に賞金を懸けるとの詔勅を拝見しました。私は生命にかけて手柄を立てる所存でございます。」

これに対して曹丞相は更に返書を送り、呂布もまた上書を書いて使者に持たせているようだな。文書を書くのを苦にしない種類の人間だな。

そうじゃな、ワシなんぞブログの文章組み立てるのでもヒーヒー言ってるぐらいじゃのに・・・大したもんじゃよ。じゃが呂布の筆マメ伝説はまだ終わらん、更に続くんじゃよ。

と言ったところで、次は呂布の筆マメ伝説その2、そして能力評価と行こうかのう。

 

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