三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

蔡邕(さいよう) 字:伯喈(132~192)その4

さて、今回紹介するのは蔡邕の四回目、何とか今回で終わらしたいのう。今回は蔡邕の董卓時代とちょっとしたエピソード、能力評価を行うとしようかのう。

 

さて、蔡邕の紹介、4回目じゃな。

どうも、張郃だ。今回でそろそろ最後となるのかな。 

そうじゃな、董卓時代のエピソードは董卓のところでも語っておるからのう。

董卓軍の人物紹介ももう2ヶ月ぐらい続いていますからね。今までの群雄の中でも最長ですね。

そんなになるのか、よし、早速見ていくとしようかのう。

人物紹介

董卓の辟召

189年、董卓は蔡邕の高名を聞いて招聘するんじゃよ。一度は病と称して断ったんじゃが、董卓が激怒したことでやむを得ず洛陽へ入り、祭酒に任じられたんじゃよ。

最初の両者の関係は最悪に近い感じだな。

そうじゃな、じゃがやがて董卓は蔡邕を信任する。その信任ぶりは以下のような感じだったんじゃ。

献帝紀』によると、董卓が少帝を廃そうと発議するんじゃが、劉備の師匠である盧植が猛反対するんじゃ。董卓は激怒して退席し盧植を処刑しようとするんじゃが、この時侍中であった蔡邕が説得することで、盧植は何とか助かったんじゃよ。

また長安に遷都した董卓が権力欲を示した時、これを諫めて控えさせたのも蔡邕だったんじゃ。詳細は董卓の紹介のところを見てくれると良いぞい。

ここでの董卓は聞き分けの良い、有能な君主、と言うイメージしかないのう。

蔡邕の最後

さて、いよいよ蔡邕の最後になるが、王允とのやり取りに関して一般に知られている内容に関しては王允のところに書いておるので、そちらを見ていただくと良いぞい。

 

王允のところにも書いておるが、こちらには張璠の『漢紀』による異説の方を載せておくとしようかの。

董卓は彼の才能を高く評価して厚遇し、朝廷の宣布事項がある時はいつも蔡邕に草稿を整えさせたんじゃ。

恐らくこのことから董卓の一党と感じた王允は蔡陽を処刑しようとしたんじゃろう。じゃが、当時の名士の多くが彼のために弁護した、とあるんじゃ。王允は処刑を命じたことを後悔し中止しようとしたが、蔡邕は既に処刑された後であった、と言うことじゃな。もう少し早く中止命令が届いておれば・・・と思わずにはおられんのう。

もう少し早く中止命令が届いておれば、運命は変わったであろうにな。

こればかりはどうしようもないのう。さて、続けて蔡邕に関するエピソードを見てみるとしよう。

長安でのある出会い

董卓長安へ遷都した頃のことじゃ。この頃の蔡邕は才能、学問共に際立っており、朝廷にあって尊敬され重んじられ、常に車馬が町をうずめ、賓客が脚門にあふれておったんじゃよ。そんなところにある日、さる人物が訪れたんじゃ。

年齢は幼いうえに容姿が貧弱だったので、誰も彼の才を見抜くことができんかった。だが、蔡邕は彼が訪問したと聞くと、慌てて出迎えるんじゃ。あまりにも慌てていたので、履物を逆につっかけてしまったほどじゃ。皆その人物があまりにもみすぼらしいので、蔡邕がなぜそこまでするのかいぶかしむんじゃよ。

蔡邕は彼が王暢の孫であり、風采は上がらなくともその才が傑出していることを見抜き、坐の者に言うんじゃ。

「この方は王公(王暢)の孫、王粲じゃ。特別な才能を持ち、わしも及ばない。わしの家の書籍や文学作品は全部彼にやるが良い。」

王暢は李膺同様に八俊にも選ばれたほどの人物なんじゃ。そして王粲は建安七子の一人に選ばれるほどの才人じゃな。

蔡邕は音楽に才を発揮しておったのは先に書いた通りじゃが、彼は書の世界でも爪痕を残しておるんじゃ。飛白体と言う刷毛状の独特の筆で、かすれたように描く書体があるんじゃが、これは蔡邕が創始したと言われるんじゃ。

音楽に書体に、そして歴史書の正しい文字への修正に、と文化人としては最高峰の人材と言っても良いであろうな

そうじゃな、こと文人としての才は曹操に匹敵するやもしれん。さて、蔡邕の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。もちろん彼は全作品に登場じゃな。。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 蔡邕(20歳)  35 105 90 125
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓↓
 蔡邕(45歳)  62 139 123 161

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蔡邕が亡くなったことを聞いた時、鄭玄は「漢世のことを誰と共に正せば良いのか。」と嘆いたぐらい、蔡邕の学者としての才は優れ、董卓へもさまざまの助言を行っていたことから政治を高めとしたんじゃ。

また様々な苦難を受けながらも人望の高さから窮地を何度も乗り越えたことから魅力の高さ、劉備に通じる要素であるんじゃが、統率も高めとしておいたぞい。

その一方、何度か一本気な性格から危地に陥り、最後は処刑されてしまったことから乱世を生き抜く知恵に欠けていたのかもしれん、と言うことから知謀は少し抑え目とさせてもらったんじゃよ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 蔡邕  22 12 86 82 87

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 蔡邕  1 1 8 12 11 15

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 蔡邕  1 1 16 19 20

 

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雑談ぢゃ

さて、蔡邕の能力評価じゃな。

ふむ、お主だけ統率が高い以外は全て似た評価となっておるな。  

基本は政治と魅力が高いのですね。師匠の場合は魅力の高さが統率の高さに組み込まれている感じですね。

そうじゃな。統率の高さは劉備的な評価に、ちと近いと言えるであろうな。 

しかしこれは董卓の補佐として見ると、丁度董卓に足りない要素を補ってくれる才能だな。 

そうじゃな、恐らく董卓の補佐として据えてやると董卓の政治力を大きく補正させ、統率もわずかに上昇させる、全体的に足りない部分をかなり補填させることができるであろうな。こうなったら董卓は怖い存在じゃぞい。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまたご覧くだされ

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。