さて、今回は華緝の紹介じゃな。見てもらえばわかると思うが、彼は華歆の一族なんじゃよ。じゃが事績はようとして知れず、字や生没年も不明なんじゃ。むむむ、今回は紹介するの難しそうじゃのう。
さて、今回は華緝の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。・・・・華歆殿の確か弟ではなかったかな。とは言えうちの息子たち同様そんなに記録は残っていまい。
そう言えば張郃さんの息子も出てくるんですね。
まあ、名前だけだ。あいつらには俺のように軍人となり、苦労してもらいたいとは思わんかったから、別にそれで構わんよ。
さて、記述がかなり少なそうじゃが、華緝について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、華緝についてじゃが、史書を紐解くと出てくるのは一ヶ所だけじゃな。
魏志『華歆伝』の最後の所に、文帝曹丕の時代に、華歆の封地を分けて、華歆の弟の華緝を列侯に取り立てた、とあるんじゃ。
うちの息子は確か関内侯だったから、華緝殿の方が扱いが良いな。まあ三公殿の弟だからな。
この辺りはラインがあるんじゃろうかのう。位であれば張郃殿の車騎将軍も三公にひけはとらんじゃろうが。弟と息子、の違いじゃろうか、この辺りはもう少し調べんと分からんのう。
さて、華緝の記録はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。もちろん彼は・・・ワシのみの評価じゃな。
能力評価
華緝は兄以上に目立つような実績がなく、列侯に封じられたことぐらいしか記録がないため、全体的に抑え目の評価となったんじゃよ。
ただ、能力の傾向は兄に似せて、政治と知謀の方が軍事・統率より高めとしたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、華緝の能力評価じゃな。
ふむ、まあ実績がないから、と考えると妥当なところか。
そう言えば華歆さんって191年頃は35歳ですか、まだ息子さんが成人するには少し早いですかね。
それ以前にまだ息子がおらんはずじゃ。確か彼の長男は204年頃じゃったか、の生まれじゃから、まだこの頃は影も形もおらんのじゃよ。
まあ小さい内に亡くなってしまった子とかがいたかもしれんがな、ちゃんと成人して役職についた人物は言う通り、かなり遅くに生まれた子だな。
204年頃と言うと確か呉を滅ぼした時の将軍の一人、王濬が同じぐらいの年齢になるんじゃなかろうか、次世代の英雄達じゃな。さて話がそれたが、華緝の紹介はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。