さて、今回も曹楷の紹介じゃな。昨日紹介した人物とは別人で、こちらは曹仁の息子に当たる人物なんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は当然忘れている)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回はもう一人の曹楷の紹介じゃな。こちらは曹仁の息子じゃな。
曹仁殿の後は曹泰殿が継いでいる。彼も父の名を辱めぬ、なかなかの武将なのだが、曹楷殿は彼の弟に当たる人物だな。
私は曹楷も兄の曹泰もほとんど知らないですね。
演義には出てこない人物だからな、知らないのも仕方あるまい。
うむ、曹楷はともかく、曹泰は出てきてもおかしくない人物なんじゃが、何故演技で出てこなかったのか、ちと不思議な話なんじゃがな。それではもう一人の曹楷について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『曹仁伝』を見ると、223年に曹仁が亡くなった時、曹泰が後を継ぎ、また曹泰の弟の曹楷にも封邑を分与され、皆列侯となった、とあるんじゃ。曹楷についての記録はこれだけじゃな。
曹彰殿の息子に比べると記録が少ない。全体的に抑えめの評価となっているのも致し方ないか。
軍事が少し高いのは父の評価を少し反映していると言うことですね。
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簡単解説
総合的には昨日の曹楷とあまり変わらないのですね。
曹彰殿の息子の方は記述が多く、ある程度輪郭が見えているから、その分評価の凹凸を付けやすいのであろうな。
確かに名前のみですと父親の能力の反映ぐらいしかできませんからね。
他に記録もないし、今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。