さて、今回紹介するのは張旻と言う人物じゃな。字や生没年は不明。すでに一度名前の出ている人物であるが覚えているかのう。
さて、今回は張旻と言う人物の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。一度名前は出ているが本当にその一ヶ所のみだな。
士燮の所を読んでけば出てくるのは分かっていますが、名前だけ聞いても一瞬思い出すのに時間がかかりますね。
出番がほとんどないからのう。それではさっそく張旻について見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、張旻と言う人物、史書に出てくる人物はわずか一ヶ所のみなんじゃな。呉志『士燮伝』を見ると、士燮が交州を本格的に支配した時、役人の張旻を遣わして、貢納品をたずさえて京師に赴かせた、とあるんじゃよ。
使者として貢納品を携え洛陽に赴いた、と言うことか。外交官としての才がある、と見て良いのかな。
そうじゃな、儀礼的とはいえ、きちんと対応できる人物が選ばれるじゃろうから、教養ある人物と思えるんじゃよ。
とは言えこれだけしか記録がないので、評価はちと難しいじゃろうな。それでは張旻の事績は終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシ以外じゃと天舞さんに登場してるようじゃな。
能力評価
張旻は外交官としてすぐれた才を持っていた、と判断し知謀を一番高い評価としたんじゃよ。
じゃが実績がほとんど見られないため、全体的には抑えめの評価となるんじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、張旻の能力評価じゃな。
これは分かりやすいな、お主も天舞三国志も外交官としての能力を評価しておる。
そういえば外交官として優秀だと知謀が高くなるのはなぜでしょうか。
うむ、特に呉蜀でのやり取りが多かったことが要因なんじゃが、結構知恵比べのようなことを外交でやっておったりするんじゃよ。臨機応変に受け答えできるだけの智者である必要がある、と言うことじゃな。
まあ、ある程度古典の知識さえあれば、その辺りの受け答えはそう難しことではないがな。
張郃殿は簡単に言ってくれるが、急に言われると頭が真っ白になる人間もおるでのう(主にワシ)。やはり即妙に受け答えできる人物たちは凄いんじゃよ。さて、多少横道に逸れたが張旻の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、今日はここまでだな、俺も帰るか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。