さて、今回は代郡の烏丸の修武盧の紹介じゃな。彼は特に「何某王」のような肩書はないようじゃな。更に言うと鮮卑族の軻比能に従っていることから、ちょっと変わった立場の人物のようじゃな。
さて、今回修武盧の紹介じゃな。彼には特に肩書がないんじゃよ。
どうも、張郃だ。魏志『鮮卑伝』によると、222年鮮卑族の附義王である軻比能が、前年代郡に移住していた部族の大人や配下の者たち、更に代郡の烏丸の修武盧を引き連れ、中国との間に交易をした、とある。
附義王と言うのはまた聞きなれない名前ですね。軻比能の立場って鮮卑族の中ではどうなんでしょう?
三国初期の鮮卑族の中ではかなりの勢力を持った人物だな。もちろん後漢時代の檀石槐ほどの勢力とはいかないがな。北伐の時、諸葛亮もあてにしていたぐらい、と言えばそれなりの勢力だったことは分かるかな。
まあ、軻比能に比べると修武盧はだいぶ記述は少ないのは確かじゃよ。それでは見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀
魏志『鮮卑伝』を見ると、上で張郃殿は言っているように、鮮卑族の軻比能に引き連れられ、中国と交易をおこなっていることから、あまり武人らしさを感じないんじゃよ
なるほど、更に他の人物たちと違い、王の肩書などもないことから、軍事も抑えめの評価となっているということだな。
政治
逆に中国と交易をおこなっていることから、あまり異民族らしさを感じない側面を政治として評価している、と言うことじゃな。
たしかに異民族の人物たちって軍事が高い印象がありますから、政治が一番高いと言うのは少し風変わりな印象がありますね。
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簡単解説
修武盧は政治が一番高いですが、全体的には抑えめの評価なんですね。
まあ、王の肩書もないし、もちろん単于でもないからな。平均値はどうしても抑えめになるのは仕方ないだろうな。
やはりそう言うことなのですね。それにしても烏丸族と鮮卑族って普通に交流しているものなのですね。
まあ争っているところは普通に争っているがな。時代によっても立場が違ったりする。元々祖先をたどると同根だった、と言う話もあるからな。
烏丸と鮮卑の関係ははっきりしない部分もあるからのう。ただ修武盧はちょっと面白い存在ではありそうじゃな。同じような人物がポンポン出てくるかもしれんが、そこは興味を持ってみていくとしようかの。さて、そんなとこで今日は終わりじゃな。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。