今回は沙末汗と言う人物の紹介じゃな。彼は長城の外に勢力を築いていた厥機と言う人物の息子に当たる訳じゃな。それでは彼について見ていくとしようかのう。
さて、今回は沙末汗の紹介じゃな。彼は初期武将として登場していた厥機の息子に当たるんじゃよ。
どうも、張郃だ。初期武将の2世に当たる人物だな。厥機の時代から親魏傾向だったようで、それはこの沙末汗の時代も変わっていないようだな。
軻比能とはあまり協調していなかった。と言うことですよね。
そうじゃな。同じぐらいの勢力を持ち、長城の外におった素利は軻比能と何度も争っておるようじゃからのう。さて、それでは沙末汗について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『鮮卑伝』によると、父の厥機が亡くなると、息子の沙末汗を立て、親漢王の位を授けた、とあり、220年には沙末汗は使者を送って馬を献上してきた、とあるんじゃよ。
代替わりしたのがまだ後漢の時代であったことから、「親漢王」と言う訳だな。
軻比能と距離をとってけん制するためにも、漢・魏に近づいていた、と言うことですね。軍事的には軻比能の方が上ですが、統率は沙末汗の方が上ですね。
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簡単解説
彼は先日の騫曼と違い、統率も含めて全体的にほどほどの値になっていますね。
まあ実績が多いわけではないから、そこまで突出して高いわけではないが、総合的には悪くない評価になっているのだな。
馬を献上してこれるなど、代替わりしても安定統治はできていたみたいですからね。
しかも彼ら率いる部族民の数はいずれも軻比能を上回っていた、とあるからな。より長城近くにいたから、軻比能の方が直接的な脅威が大きかった、と言うだけで、彼等長城の外の勢力も決して侮れない、と言うことを示しているな。
父に少し似た評価になっているが、うまく父の偉業を継いだことも大きいと判断したからのう。さて、今日はこんなところじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。