三国志に釣られクマー

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趙雲(ちょううん) 字:子龍(?~229)その4

さて、今回は『趙雲別伝』の内容の続きじゃな。ここからは漢中攻防戦以降についての話なんじゃよ。

 

さて、今回は『趙雲別伝』の内容、続きじゃな

どうも、張郃だ。漢中攻防戦からとは、またいやな記憶だな。 

そう言えば張郃さんは夏侯淵が亡くなった後、臨時の指揮官として漢中軍をまとめていたのですね。

あの時は大変だったな。劉備達は勢いに乗るし、その勢いを如何削ぐのか、かなり腐心したものだ。 

ある意味一番張郃殿が苦労していた時期じゃろうからな。さて、では趙雲はどう描かれていたのか。見ていくとしよう。

人物紹介 

漢中攻防戦

丁度曹操が北山のふもとに数千万袋の米を輸送したんじゃ。黄忠はこれを奪い取ってやろうと思い、趙雲の兵士もこれに付いていき米の略奪に言ったんじゃよ。

黄忠が約束の時間になっても帰ってこないので、趙雲黄忠らの様子を見ようと数十騎を率いて軽装で陣を出たんじゃが、丁度曹操が多数の軍兵を引き連れて出てくるのと行き会ったんじゃよ。

趙雲曹操の先鋒隊によって攻撃され、戦闘の最中曹操の大軍が到着し、押しまくられたので、その陣に突撃を繰り返して、戦いつつ引き退いたんじゃな。

最終的に魏軍は敗北し、趙雲は敵を打ち破ると自陣に戻ったんじゃよ。

随分都合よく曹丞相と鉢合わせたものだな。しかも魏軍が増えているのにわずか数十騎で、突撃を繰り返すだけで魏軍を打ち崩せるなら、蜀はもっと魏に楽勝できていたであろう。 

凄い抽象的な書き方にはなっているのですね。これが本当なら趙雲は漢中における軍功一位じゃないですか。 

更にこの話には続きがあるんじゃよ。趙雲は陣に戻ったが将軍の張著が負傷したため、自ら馬を馳せて敵陣に立ち戻り、張著を迎え入れたんじゃ。

更に曹操の軍が彼の陣営まで追撃してきたんじゃな。この時張翼趙雲の陣営内におり、門を閉ざして防御しようとしたが、趙雲は大きく門を開けさせ、旗を伏せて太鼓をやめさせたんじゃよ。

魏軍は伏兵があるのではないか、と疑い引き退いたんじゃな。趙雲の太鼓が急に雷のように天を震わせて鳴り、弩が背後から魏軍に発射されたので魏軍の兵は仰天して互いに踏みにじり合い、漢水に落ちて死ぬものも多数あったんじゃよ。

伏兵がいるかもしれない、と退却する際に、相手の陣に背中を向けて退却するバカはおらんぞ。更に言うなら、この漢中攻防後に劉備は漢中王になっているが、この際関羽張飛等は前後左右将軍に昇進しているが、趙雲は翊軍将軍に据え置きのままだ。 

活躍が真実なら昇進するはずだ、と言うのが張郃さんの意見なのですね。 

北伐にて

さて晩年に趙雲箕谷で敗北した時の話じゃ。諸葛亮

「街亭の軍が撤退するとき指揮が乱れて将兵はバラバラになった箕谷の軍が撤退する時、将兵のまとまりが全く失われなかったのはどうしてか。」

と聞くと鄧芝が

趙雲自ら後詰めになりましたので、軍需品や器物をほとんど捨てずに済み、将兵はおかげでまとまりを失わないで済みました。」

と答えたんじゃ。

更に趙雲が軍需品の絹を残していたので諸葛亮が彼の将兵に与えようとしたところ、趙雲

「負け戦だったのに、どうして下賜があるのですか。この物資はすべて赤崖の蔵に収め、十月を待って冬の支度品として下賜されますように。」

と言ったんじゃよ

雲別伝では美談にしているが、ただの負け戦に対し、諸葛亮の行動がブレブレではないか。しかも諸葛亮伝を見ると第一次の総括で「街亭では命令に背かれると言う過ちを犯し、箕谷では不謹慎のための失策を犯すことになりました。」と趙雲達にも失策があったことが上奏されているのだ。 

不謹慎のための失策とは何でしょうか。 

一説によるとこの時趙雲は敵の追撃を食い止めるためか、桟道を数十kmにも渡って焼いてしまったらしいのだ。これが失策の正体ではないかな。 

本来ならそこまで焼く必要はなかったと言うことですか。でも確かに焼いたことは魔受かったかもしれませんが、結果としては無事退却できているし・・・あ。

気が付いたか、数十kmもの桟道を焼いてしまえば、復旧には相当時間がかかる。当分使えないとなれば、魏側にして見れば、蜀軍の侵攻方向を絞りやすくするからな。 

実際に曹真が、次は陳倉を攻めてくると予想したとおりになったのも、ルートの絞り込みが出てきていたからじゃと思うんじゃよ。 

まあ、ちと大げさな記述や恐らく一部創作もあったであろう『趙雲別伝』じゃが、正史だけでは地味な猛将の位置づけでしかなかったのが、冷静沈着で豪胆、判断力にも優れている、非常に好感度の高い趙雲像として固まった訳じゃから、侮れん話じゃな 。

まあ、こういった実際はどうじゃったか、なんてのは無粋と言えば無粋なんじゃがな。自分としても一度きちんと正史本文と『趙雲別伝』を切り分けてまとめておきたかったんじゃよ。

と言ったところで趙雲の紹介は終わりじゃな。これで五虎大将軍は残り馬超じゃな。彼の評価も魔楽しみじゃのう。

 

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