さて、今回は趙雲の次男、趙広の紹介じゃな。演義では諸葛亮に趙雲の死を告げる役割を担っているが、史書ではどうだったんじゃろうな。
どうも、張郃だ。趙雲の次男と言うことで名前は残っているが、将としての記録はほとんどないな。
演義でもちょっとだけ出てきただけですから、正史も多くは語られていないと言うことですね。
そうだな、趙雲伝にわずかに記述が残っているのみだな。
それでは早速趙広について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価を見ていくとしようかのう。
軍事
蜀志『趙雲伝』を見ると趙広は牙門将となり、姜維に随行して沓中に行き、前線で戦死した、とあるんじゃよ。
軍事に関しては趙広は牙門将となり、前線で戦っていたということから軍事能力は父同様高めの評価とした訳だな。
統率・知謀・政治
さて、蜀志『趙雲伝』を見ても、趙広に関しては上記の記述以外は記録がなく、評価のしようがないんじゃよ。
何も記録がないことから、全体的に平均的な評価に収まった、と言うことですね。
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簡単解説
各作品を見ると師匠は結構評価が高いのですね。
天舞三国志は少しお主の師匠に近い評価と思えるな。
戦った、と言う実績があると師匠の場合は少し軍事が高くなる傾向があるのですね。
それだけでなく、趙雲の息子と言うのも大きいだろう。2世と言うことで才能を引き継いだ、と言う側面もあるはずだ。
そうじゃな。牙門将と言うのも父と同じような役割であることから、面影はあったのではなかろうか、と思ったんじゃよ。と言ったとこで、今日は終わろうかのう。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。