三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

夏侯玄(かこうげん) 字:太初(208~254)その3

さて、今回は夏侯玄の逸話の続きについてついて見ていくとしようかのう。今度は彼の大胆でさらに踏み込んだ意見について見ていくとしようかのう。

 

さて、今回は夏侯玄に関するもう一つのエピソードについて見ていくとしようかのう

どうも、張郃だ。もう一つと言うと、行政区分を明確にすると言うものだな。 

先日お話ししていた「重複していた役職を排除する」と言うものですか。

そうだ。これは現代でもいくつかに多様な例があるから参考になると思うぞ。 

そうじゃな、それでは次の逸話についても見ていくとしようかのう。

人物紹介 

県長・郡太守・州牧の問題点

さて、中華には九つの州があり、その州の中には郡があり、軍の中には県が存在するんじゃが、これに関しても彼は独自の着眼点を持っておったんじゃ。

「古代において官吏を設置したのは、万民を救い育み、人民を統べ収めるためであります。それ故、彼らのために君長を設けて支配させました。支配する主長は一人にして、全てを任せるのが望ましいと存じます。」

一元管理させるために船頭を減らせ、と言う話だな。続いてその具体例を書いているようだな。 

「古代の聖天子が多数の諸侯を設置したことについては、その詳細を究明することはできませんが、領土を分かち境界を区切って、各自領界を守っていた点では二重統治の束縛と言う政体を取っておりませんでした。」

言っていることは分かるのですが、二重統治、と言うのが具体的にどういうことを指しているのかが、もうひとつピンと来ないですね。 

うむ、そこについては具体的に話を夏侯玄は述べて、更にその対応策にまで言及しておるぞい。かなり大胆な案と思って見てくれると良いぞ。本当はもっと色々夏侯玄は述べているんじゃが、それを全部書き出すと膨大な量のテキストになるので、ワシが不要と思った部分は飛ばしていくぞい

「秦の時代になって、初めて聖天子の政道を手本とせずに、私情を持って職務に当たるようになりました。そこで地方長官のでたらめさを恐れて、監察官を立てて彼らを監視させ、監察官の不正黙認を恐れて視察を設けて糾明させたのです。」

地方長官の不正を監視するための監察官、そして監察官を監視するための視察、監視のドミノ倒しだな。 

漢王朝はそのやり方を受け継ぎ、魏王朝が興隆してからも、そこまで手を伸ばす暇なく、五等爵の法典もにわかに復興させることは困難でありますが、大体の標準を立てて、行政制度を一つにまとめるべきであります。

現在、県の長吏は皆官民を支配していますが、その上にやたらに郡守、州刺史と二重三重に設置しております。郡の管轄範囲は大雑把に州と同じであります故、重複する必要はありません。」

ここまで読むと、夏侯玄の意図は凄い良くわかりますね。要は行政を統一し、中間の権限の被る郡太守及び郡の役人を廃止する、と言うことですね。 

そう言うことじゃな。日本で近い話を考えると廃藩置県じゃろうかのう。大阪の都構想とかもちょっと似てる側面はあるが、現地民が言うのも変な話じゃが、あれは大阪府のみの話じゃから、スケールが違い過ぎるんじゃよ。

それと人が都市間を大きく動く現代と、地元から大きく離れることの少ない当時の中華とも比べられんところがあるしのう。さて、この利点について夏侯玄は次のように述べておるんじゃよ。

「(州)刺史の職が存在する以上、監督査察の仕事は依然として続けられることになります。郡が廃されることによって、数万の役人を帰農させ、それによって無駄な出費を省きまして、財政を豊かにし穀物を増産できることができます。

現代もそうだが、安定を求めると何故か公務員が増えていく。だが公務員だけ増えても、財源となる税を支払ってくれる民間が萎んでしまっては本末転倒であろう。夏侯玄は極めて重要なことを言っているな。 

他にもいくつかの利点を挙げるが、次の内容もなかなか考えさせられる内容じゃな。

「現代は荒廃した時代の後を受け、人民は死に絶え、優れた人物は少なく、政務を担当できるものも多くありません。

郡と県に立派な役人が何人もいる場合が良くありますが、郡は県の仕事の上に成り立つものであり、激務は県が引き受けねばなりません。にもかかわらず、官吏の選出に際して、郡の方から員数を満たしていきます。

これでは直に民衆に接する官吏はもっぱら劣等な者を当てることになってしまいます。

~中略~

今、もしも県と郡を併合し、県吏として清廉で善良な者を多く選出して任務に就かせたならば、大いなる教化が広く行き渡り、人民は安寧な生活を得られるでしょう。

夏侯玄は皇族としての誇りを持ちながら、その視線はきちんと人民の方に向けられており、その人民に直に接する県の役人にこそ、人材が必要と言っているわけじゃな。彼はこの件について、最後は次のように締めくくるんじゃよ。

「郡守を省きますれば、県のやることは全て直接上へ通じまして、仕事も中間で遮られることもなく、官職も昇進が滞ることがないでしょう。

三代(夏・殷・周)の風化には、まだ必ずしも及ばないとは言っても、行政の簡素化と単一化による効果は、恐らく期待して良いでしょう。

人民に便宜を与え出費を省く道は、この政策にかかっております。

多少理想論に傾きがちに感じる部分もあるものの、ノブレス・オブリージュを体現しているような人物ではなかろうか。ワシはこの夏侯玄の背筋をすっくと伸ばしたような考え方は嫌いではないぞい。

さて、夏侯玄についてはもう少し語りたいこともあるんじゃが、きりの良い所じゃから、続きは次回としようかのう。 

 

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