さて、今回は夏侯衡の紹介じゃな。魏志『夏侯淵伝』によると夏侯淵の長男であり、曹操の姪を妻とし、恩寵が特に厚かった人物、じゃが実体の見えてこん人物じゃな。
さて、今回は夏侯衡の紹介じゃな、夏侯淵の長子に当たる人物じゃ。
どうも、張郃だ。夏侯淵殿の息子は皆優れた才を持っていたことが記録には残っているが、彼だけは情報がはっきりしないのだな。
そう言えば字の所に「?」が入っているのは何故ですか?
それは記録としては夏侯衡の字は不明だからであろう。
そうじゃこれは他の兄弟の字からの予測なんじゃよ。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『夏侯淵伝』によると、夏侯衡は夏侯淵の長子として、夏侯淵が亡くなるとその後を継いだんじゃ。冒頭にもある通り、彼は曹操の姪を妻としたことから特に恩寵が厚く、後に安寧亭侯に転封された、とあるんじゃよ。じゃが彼の記録はこれだけなんじゃな。
ふむ、皇族との繋がりを厚くし、恩寵が厚いと言うことから政治力にそれなりの手腕があったと判断し、政治能力を高くした、と言うことか。
ただ記録は少ないことから。全体的には控えめの評価なのですね。
そう言うことだろうな。さすがに記録がない人物を高い評価にすることはできんだろうからな。
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簡単解説
あら、鄭問三国志のみなんですね、他の作品に出ているのは、少し意外です。
そうだな、鄭問三国志のみ参加していないことはあっても、鄭問三国志のみに参加と言う例は過去あまりないな。
ただ、こちらも少し迷ったような能力値ですね。
記録が残らなければ人物像が掴めんからな。更に夏侯衡は演義にも出てこないから、そちらから補うことも不可能だからな。
そう考えると、彼が鄭問三国志のみ出ているのは結構不思議に思えるのう。さて、今日はこれで終わりじゃな。それとちと数日書き込めない環境に身を置くので、ちょっと日が空きますが許してくだされい。
ふむ、ではしばらく自分ものんびりさせてもらうかな。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。